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Characters:
Language:
日本語
Stats:
Published:
2025-05-26
Completed:
2025-05-26
Words:
99,755
Chapters:
3/3
Kudos:
2
Hits:
89

祝祭と深呼吸

Chapter 3: 水星とミラーボール

Chapter Text

 水星とミラーボール Over the Rainbow

 

 現在時刻は十七時二十八分。あとすこしで終業のチャイムが鳴るという頃に、廊下を走る足音が聞こえてきた。王都警視庁魔法捜査支援センターの第一解析室にいたルイスは顔をあげる。解析班に異動してきて約一か月、急な依頼が飛び込む際は、いつもこんなふうにせわしない足音が聞こえてくる。さて、今日の人物は――踵がすり減ったジョギングシューズ。ゴムがリノリウムの床をこすっている。上着は防水生地のロングコート。外では雨が降っているのかな――イヌ科の獣人の彼女の耳は、足音の人物が魔法強行犯対策係の者だと判断する。新しい魔法痕の解析追加依頼か、現行の解析内容の催促か。今日も残業かもしれないなあ。人知れず憂鬱な気持ちを抱いていると、第一解析室主任のエース・トラッポラは椅子から立ち上がり、来客用ソファの裏に身を隠そうとしていた。
「どうしたんですか?」
「オレはいないって言っといて」
「えっ」
 解析室のドアが勢いよく開いた。
「エース、いるんだろ?!」
 背後からの大声に、尻尾がぴゃっと逆立ってしまう。ドアを開いた人物は、目当ての者がその場にいないと察するや、まだ目を真ん丸にしていたルイスにむかって、
「ああ、失礼。魔犯対(マハンタイ)第一部隊のスペードです。トラッポラ解析主任はどちらに?」
 と、問うた。先ほどとは打って変わった優しい声音である。
「ええっと、それが――」
 どうしよう。いません、って言えばいいだろうか。ルイスがオロオロしていると、スペード捜査官はつかつかとソファの裏に回り込み、白衣の襟首を掴んでトラッポラ主任を引きずり出した。
「ぎゃ!」
「おい、エース。資料番号九一四の第二事件に関する報告書、いつまで待たせるつもりだ」
「だーから、昨日も『まだ』って言っただろ!」
「もう三日だぞ。早くしろ」
「解析現場の勤務実態も知らねーで無茶苦茶言わねーでくれます?」
「とにかく、できたらすぐ報告してくれ」
「へいへーい。わーかりましたァ。がんばりまーす」
「語尾を伸ばすな」
「あのさ、わざわざ足をお運び下さったんだから、たまにはお小言だけじゃなくて差し入れとかないワケ?」
「あ、主任。実は先ほど――」
 部屋の外から、資料を取りに行っていたブレントとクラプトンが顔をだした。それぞれの両手には、資料の他に栄養ドリンクの箱(肉体疲労回復のタウリン一五〇〇ミリグラムと消耗した魔力を補うブロットールS配合。トラッポラ主任のデスクに空き瓶がズラリと並べてあったやつだ)と、焼き菓子のカゴがある。スペード捜査官はトラッポラ主任以外の三人に向かってにっこりとほほ笑んだ。そのとたん、目尻が下がって優しい表情になり、どこか頼りないところのある少年のような雰囲気がにじむ。
「お仕事中のところ大変失礼しました。お菓子は皆さんでお召し上がりください。では、僕はこれで」
 パタンと静かにドアが閉まって、スペード捜査官は解析室をあとにした。登場時とは打って変わった落ち着いた足音が廊下に響いて遠ざかっていく。
「はわわ……」
 と、ルイスはつぶやいた。というか、喉からそういう音が出た。何だ、いまのは? ドラマのワンシーン? ぼんやりしていると、トントンと肩を叩かれた。先輩職員のブレント巡査部長だ。
「大丈夫?」
「あっ、すみません、ボンヤリして!」
「そういえば、ルイスはスペード捜査官に会うのは初めてだっけ」
「は、ハイ」
「どうだった?」
「どうだった……?」
 ルイスは口ごもる。何を答えろと。ブレントはなぜか楽しそうにニコニコしている。ルイスは頬が火照っているのを感じて俯いた。落ち着きなく指をそわそわ組み換えながら、消え入りそうな声でなんとか言った。
「あの、スミマセン、こんなこと言ったら本当アレかもですけど……かっ、カッコイイですね」
「だよねえ」と、ブレントは大きく頷く。
「わかるー」と、おなじく先輩職員のクラプトン巡査部長も相槌をうつ。
「ハァァ?!」椅子をクルッと回してトラッポラ主任が叫んだ。「あれの?! どこが?! なんで?!」
「スペードさんが格好良く見えないのはトラッポラ主任くらいですよー」
「そうそう」
「なんなのオマエら、アイツに変な呪いかけられてたりする?」
「解析班の主任が何言ってるんですか」
「くだらないこと言ってる暇があったら仕事してください、押してるんで」
「へいへーい」
 トラッポラ主任は元の椅子に収まると背を向けて、術式が羅列するモニターに向かって背中をまるめた。

        ■

 差し入れのお菓子は、クッキー、タルト、フィナンシェの詰め合わせ。どれも大変美味である。マンゴーのタルトにかぶりつくと、芳醇な果物の酸味とまろやかなカスタードクリームが口の中で混ざり合って、疲れと緊張で強張っていたルイスの頬はおもわず緩む。残業作業で疲れ果てた身体の隅々に、上質な糖分が染み渡っていく心地がする。
「ルイスちゃんはしあわせそうに食べるねえ」
「はふ」タルトの欠片が口から飛び出しそうになった。「いや、その、スミマセン」
「いや、いいの、いいの。若い子が美味しそうにごはん食べてるのを見るのは嬉しいもんなのよ」
 クラプトンが目を細くして微笑む。その横でブレントが「またおばあちゃんみたいなこと言って」と、あきれ顔をする。といっても、クラプトンはおばあちゃんになるにまだぜんぜん早すぎる年齢だし、自分も新入りではあるが新卒ではないので「若い子」と言われるにはちょっと歳をとりすぎている気がするが。その横で、ブレントはお菓子の個包装をしげしげ眺めて言った。
「魔法執行官ともなれば、手土産のお菓子も豪華だなあ」
「これ、翠星百貨店で開催中のフェア限定品だよね。しかもマジカメでトレンド一位の『パティスリー・トレーフル』のやつ。あそこ、いつも行列ですぐ売り切れちゃうから、なかなか買えないんだけど、どうやって手に入れたんだろう? 並んだのかな?」
「うちに負けず劣らず激務のハズなのに、どこにそんな暇が……」
「仕事がデキる男は手土産まで優秀ってことかねえ。スペード捜査官は持ち前の気遣いと優しげな笑顔で数多の参考人から重要情報を聞き出し、頑なに供述を拒む犯人の心を開いて自首をうながし、難事件を解決に導いてきたとか、こなかったとか」
「まーたそんな、テキトーなことを」
 ブレントが冗談めかして眉をしかめると、クラプトンは笑いながらタルトの残りを口に放り込んだ。
「あー、美味しい。最高。しあわせ」
「そりゃあよかった」
 ブレントはお菓子のくずをごみ箱の上で払うと、鞄から新聞を取り出した。
「あ、選挙広報だ」
「そう。順位、そろそろ決めなきゃと思って」
「順位、ですか?」と、ルイス。選挙に順位付けとは。
「あー、ルイスちゃんは王都歴浅いから知らないよね。ここではねえ、選挙は多数決じゃないのよ」
「ええ?! じゃあ、どうやって」
「ふふふ、いい反応だ」
 クラプトンは印刷に失敗したコピー用紙の裏面に線を引いて表を書いた。
「候補者にAさん、Bさん、Cさんがいて、Aさんは四〇票、Bさんは三十五票、Cさんは二十五票を獲得。その結果、Aさんが当選しました。さて、これは民意を反映しているでしょうか」
「ええっと……」要は、一般的な多数決である。ルイスは頷く。「はい、しているとおもいます」
「ではですねえ、この表を――こうします」
 クラプトンは、今度は縦三列、横四列の表をつくって、その中に候補者名と数字を記入していく。
「百人の有権者がいるとして、候補者の三人に順位を付けてもらいます。すると、Aさんが一番だと書いた人は四〇人いましたが、最下位にした人も六〇人いました」
「え、あれ、それって」
「そう。AさんがBさん・Cさんと一対一で勝負した場合、候補者Aさんはどちらにも負けちゃうんだけど、票が割れちゃった結果、多数決ではAさんが勝ってしまうわけ。そこで!」
 クラプトンはびしっと人差し指を立てると、票の順位に点数を書き足した。一位は三点、二位は二点、三位は一点。
「今度は多数決ではなく、得票順位に応じて点数を獲得できるようにしました。そうすると、Aさんは点数を獲得できず、当選できなくなる――とまあ、こういうわけ」
「な、なるほど。直観的には違和感がありますが、『最も反対が多い者は選ばず、まんべんなく支持を得たものを選ぶ』という点で、結果的に民意を反映している、ということですね」
「そういうこと。さーすが、ルイスちゃんは理解が速くて助かるわあ」
 クラプトンはルイスの頭をわしゃわしゃと撫でまわした。あわわわわ。ルイスの尻尾がぶわっとふくらむ。クラプトンは誰にでもこの調子だ。最初は「撫でさせて!」と聞かれたし、ルイスもこの一か月でだいぶ慣れたし、嫌ではないものの、毎回ちょっとどきどきしてしまう。
「でも、このルールが採用されて良かったのかは、わかんないけどねー」
「そうなんですか」
「だって、多数決より考えることが多くてメンドクサイでしょ。おかげで投票率が爆下がりしちゃってさ。だから、政治をもっと身近に感じてもらおうと王都評議会も必死だよ。ほら、みてこれ」
 クラプトンはデスクの引き出しから未開封のペンをひとつかみ取り出した。
「クイーンズ・クロス・ステーションの広場に、政党が政策を宣伝できるコーナーがあるんだけど、そこでいっぱいくれるんだよ、政党ノベルティグッズ。ボールペンとか、ティッシュとか。あ、これ、のばらの党がくれたキャンディー。食べる? ローズティー風味でおいしいんだよね」
 ルイスはあわあわと礼を言いつつ手のひらを差しだした。政党のロゴがはいった包み紙だ。クラプトンの引き出しには、他にもこまごましたものが色々と入っている。消しゴム、メモ帳、缶バッジ、植物のタネ。なんでもありだ。
「そういや、このまえ、クイーンズ・クロス・ステーションの駅前でチェス差したわ」と、ブレントが言った。「王都代表と」
「おっ、王都代表と?!」
「うん。勝ったよ」
「王都代表に?!」
「チェスは練習中なんだって。色々話ができて面白かったな」
「今の代表、気さくな人だよね」
 クラプトンは二つ目のタルトの袋に手を伸ばした。
「ちょい待ち、それ、チェリー」
「おっと」
 クラプトンはチェリーのタルトをお菓子のカゴに戻すと、ブルーベリーのものを選んだ。ルイスももうひとついるかと聞かれて頷くと、チェリーは避けて、洋ナシのタルトを取ってくれる。
「主任のぶんは残しておかないと。スネたら面倒くさいんだよね、あの人」と、クラプトン。
「チェリーパイが好物なんだよね」と、ブレント。
「へえ」
 ルイスはくすっと笑う。普段、一緒に仕事をしているときも、すぐ冗談を言ったりサボったり軽口を叩いたりするので、宿題にむきあう小学生みたいだなとは思っていたが、食べ物の趣味までちょっとこどもっぽい。
「スペード捜査官からの差し入れって、絶対チェリーが入ってるよね」
「トラッポラ主任とスペード捜査官って、学生の頃からの付き合いらしいし、そりゃ好物くらい知ってるでしょ」
 そうだったのか。先ほどのやりとりで、てっきり、仲が悪いと思っていたのだが。
「そういえば、このまえ、スペード捜査官が指輪持ってるのを見かけてさあ」
「ゴッ!!」
 クラプトンがタルトの欠片を飲み込みそこねて盛大にむせた。ルイスが慌てて背中をたたく。冷めた紅茶でなんとかタルトを喉の奥へと流し込むと、クラプトンはせき込みながら涙目で叫んだ。
「形は?! 石は?! 刻印は?!」
「ごめん、ちょっと引く」と、ブレント。
「いいから知ってることを全部吐きな」
「情報のカツアゲか? いや、全然、普通のやつだよ。ツルンとしてて、銀色で、ちっちゃい赤い宝石がついてた。捜査一課に寄ったときにチラッと見ただけで、あんま覚えてないけど」
「普段使いできるシンプルなデザイン、アクセントに小粒のストーン、それは結婚指輪だなー!!」
 クラプトンはそう叫ぶと、祈るように天を仰ぎ、指を組み合わせるとデスクに突っ伏した。おでこがぶつかって「ゴン」と鳴った。肩がプルプル震えている。
「だっ、大丈夫ですか?!」
「なに、そんなにショックだったの? ていうか、クラプトンってスペード捜査官のこと……狙ってたとか?」
「違うッ! 全ッッッ然、違う!!」クラプトンはガバッと顔をあげて叫んだ。「その逆よ。嬉しいの。めちゃくちゃ喜んでるの。孫が結婚したような気持ちなのよ。おわかり?」
「いや、全然分からないが?」
「仕事熱心で誰にでも親切、いつも清潔感のある恰好で裏表の無い素直な性格、女性職員からの好感度が高い一方でホれたハれたの噂が一切なかった年下の男の子が指輪を持ってたって、そんなの、宴を開いて三日間踊り明かすくらいのお祝い事じゃないのッ!!」
「やっぱり分からないな……」
 ブレントは首をひねっているが、ルイスにはちょっと分かる気がする。自分と相手がどうこうなるのに興味はないが、相手に嬉しいことがおきるのはとても嬉しいのだ。自分までしあわせのおすそ分けをしてもらった気持ちになる。きっと、クラプトンが言っているのもそういうことだ。
「でも、とんでもない相手かもよ?」と、いじわるそうにブレント。
「あの人に限ってそんなことはないね」と、クラプトン。
「道ならぬ恋かもよ?」
「なに、道ならぬって」
「だって、おめでたい話ならとっくに話題になってるでしょ。人に言えない恋でもしてんじゃないの?」
「それって」ルイスは恐る恐る言った。「不倫……とか?」
 すると、クラプトンもブレントもしばし押し黙り、互いに顔を見合わせると、ぶっとびそうな勢いで首を横に振った。
「いやいやいやいや!!」と、クラプトン。
「ないないないない!!」と、ブレント。自分で「道ならぬ恋」などと言っていたくせに、酷い豹変ぶりである。ルイスはつい「え、ええー」と声に出る。なぜかちょっと傷ついた。
「……あー、ごめん。ないわ。絶対ない」
「どっ、どうしてですか」
 ブレントは唇をへの字に曲げて、笑っているような、困っているような、不思議な表情になった。
「スペード捜査官、食堂で時々見かけるんだけど、絶対オムライス食べてるんだよね。ものすごい笑顔で」
「オムライス」と、ルイスは復唱する。オムライス?
「だってさ、すると思う? オムライスをにこにこ食ってる三十路過ぎの男性が、道ならぬ恋を?」
 分かるような、分からないような。でも、オムライスの食べ方ひとつでそこまで分かるものだろうか。というか、オムライスに重荷を背負わせすぎではないだろうか。首をひねるルイスの隣では、クラプトンが「だはー」と椅子の背もたれにそっくり返り、手足を伸ばしたあと、ふいに真顔になって元の姿勢に戻った。
「やめよ、やめよ。話題変えよ。あ、そういや聞いた? 防衛魔法研究室のハウンズさんとこの結婚祝い、自動調理鍋にするんだってさ。最新の二リットルのやつ」
「それ、大きすぎない?」
「本人の希望らしいよ。あそこ、男二人所帯になるし。長いこと同棲した末の入籍だってさ。めでたいねえ」
「結婚かあ」
 ブレントがそう呟きながらお菓子の袋をビビビッと破る。ルイスとクラプトンは思わず顔を見合わせる。
「意外。ブレントちゃん、結婚願望あったの?」
「いや、そーいうんじゃなくて」
「あ、違うんだ」
「違う違う、全然違う。結婚するかしないかは、割とどっちでもいいんだけど」
 ブレントは手をヒラヒラと振ったあと、むう、と唇を尖らせて考えながら言った。
「その人が元気でよかったなーとおもうし、楽しかったら一緒に楽しいし、悲しいときは黙って傍にいて一緒に悲しくなりたい。嬉しいときは一緒に踊りたい。おんなじ景色を見て違うことを考えながら、一緒に旅がしていたい――みたいな。なんか、そういうかんじ」
 その言葉に、クラプトンはデスクを拳でドンと叩き、ルイスは関節がどうにかなった玩具のように首をがくがくと縦に振った。
「あああ、わかるッ!!」
「わ……わかりますッ!!」
「お、おう、それはよかった」
 激しく食いつかれたのが意外だったのか、ブレントはやや引き気味に返事をした。
 そこに、コーヒーを入れたマグカップを持ってトラッポラ主任が解析室に入ってきた。
「おーいオマエら。おしゃべりも良いけど、そろそろ仕事すんぞー」
「へいへい」
「はいはい」
「ハイは一回――まーいいか」
 そう言ってため息をつくと、トラッポラ主任はカゴの中からチェリータルトを取って自席に戻った。

        ■

 星の並びは魔法の力に影響を与える。その影響は深刻だ。云千年に一度の惑星直列で特定の魔力周波が閾値を超えて魔法道具に干渉するため世界的な大問題になったり、衛星大接近の影響でギンイロオオカミの群れが狂暴化したり。そして今年は、二十四年ぶりに第一内惑星の太陽面通過が起こるのだった。
 第一内惑星は太陽の間近にあるため観測がとても難しいうえ、小さな天体なので、運よく観測できたとしても、ボールペンの先でちょんと突いた程度の大きさにしか見えない。ところが、惑星がもつ磁気圏が太陽風の流れを微小に変化させることで、魔法構成要素であるエーテルの組成に影響を与え、その結果、ブロット蓄積の増加に影響を及ぼす――と、考えられている。
 もちろん、魔法を使わない人にとっては無関係だし、たとえ魔法が使えたとしても、ほとんどの人間は気にするほどでもない、さやかな変化だ。しかし、警察や魔法病院といった、有力な魔法士が多く属する組織にとって、ブロット蓄積は憂慮すべき事態。この機を狙って蛮行を働く輩がいないとも限らない。
 そういうわけで、星の並びは警察署の繁忙期をも左右するのである。
「はあー、メンドー」
 トラッポラ主任は呻き声をあげてモニターの前に突っ伏した。
「内惑星の太陽面通過なんて、何十年に一度とか何百年に一度の代物だろ。なんでよりによってオレが解析部にいるときに起きるかなァ。ホント、ついてない」
「起きちゃったものは仕方ないでしょーが」
「ぐちゃぐちゃ言ってないで、手ェ動かしてくださいよ」
 クラプトンとブレントが振り向きもせずに言った横で、ルイスはあくびをかみ殺していた。現在時刻は深夜二時。太陽面通過時刻は午前四時半から九時半にかけてとみられるため、夜を徹しての作業である。
 解析室のモニターには各地のブロット増加率の予測値と実績値のグラフが映し出されている。午前四時現在は予測通りの推移を見せており、各魔法士にとって脅威となるほどの数値にはなっていない。これが太陽の中央を横切る時間帯にはどうなるか。
 懸念点はそれだけではない。太陽面通過が発生する数日前から緊急通報受理件数および救急搬送が微増、特にブロット蓄積による予期せぬ事件・事故が多発していた。魔法捜査支援センターの主な仕事は、事件・事故の現場でみつかった残留魔法痕から、魔法士固有の術式や魔法基配列を採取して、被疑者の確保につなげること。魔法絡みの事件が増えれば増えるほど現場は忙しくなる。
 ルイスが何度目かのあくびを飲み込んだとき、普段は解析の催促でしか鳴らない内線電話がけたたましく鳴り響いた。ルイスは眠い目をこすりながら応対する。
「こういうときに限って、厄介な緊急依頼が舞い込むんだよねえ……」
 と、クラプトンが言った、その直後である。
「あ、あの!」電話を切るなりルイスは叫んだ。「彗星警察署より連絡。翠星区トチノキ通りで魔獣出没の通報。現地警察官での初動対応不可のため、魔犯対第一部隊が向かっています」
「ほら来た、不測の事態ィ!」
 クラプトンがやけくそ気味に声を上げた。
「詳細も来てます。魔法基配列の特徴から有牙獣、嘴獣(ザグナル)と推測。推定全長二メートル五〇。雷系魔法を使う模様」
「そんなものがなんで都市部に……」ブレントは唖然として呟く。
「どっかの田舎の金持ちがペットにでもするつもりだったのかもね」と、クラプトン。
「いいんですか、そんなことして?」と、ルイス。
「ダメ。国際条約違反。しかも、嘴獣は絶滅危惧の希少魔獣で保護対象のため駆除はできないから、捕獲して保護施設に送らなきゃいけない。まだ現場から報告は上がってませんが、今後の対応を考えると特殊魔法障壁の展開が必要かと。急いで防衛魔法研究室に対応を――」
「いや、ウチでやるわ、それ」
 トラッポラ主任が言ったその言葉に、「えっ?!」と、ブレントが椅子から落ちそうになり、「はい?!」と、クラプトンが二度見した。
「ほっ、本気で言ってます?!」
「ブロット増大時期の大型魔獣相手じゃ、防衛魔法研究室の連中も現場に駆り出されてるでしょ。オレがやったほうが速いから、オマエらはその調子で現場に情報送って支援して」
「でも主任――」
「んじゃ、ヨロシクー」
 必要な指示を出すだけだすと、トラッポラ主任は解析室の椅子から立ち上がり、ノートパソコンとコーヒーのはいったマグカップを持って別室に籠り、それっきり、何度呼びかけても返事は帰ってこなかった。

        ■

 時刻は朝六時半。まだ空は薄暗く、陽は明けきっていない。ルイスは給湯室で茶渋のこびりついたコップをこすっていた。モニターを見続けたせいで目はしぱしぱするし、現場への情報伝達で喉はカラカラ。同じ姿勢を取り続けて腰はがちがち、尻尾はぱさぱさ。ああ、しんどい。疲れた。怖かった。
 魔獣の捕獲は無事成功した。歩道のタイルが数か所めくれ、街灯二本が損壊したものの、人的損害はほぼゼロ。擦り傷や切り傷や打ち身をこしらえたものは大勢いたが、重傷を負ったものはなく、出動した警察官は全員署に戻ってきた。ルイスたち解析室の面々は魔犯対メンバーのブロット蓄積量をモニターして逐一報告、おかげで魔法使用による健康被害も出さずに済んだ。保護施設への移動は日が明けてから実施予定だ。大型魔獣の移送には専用の術式が必要になる。解析室の三人で相談して、いまのうちに交代で休憩をとっておくことになり、休憩一番乗りがルイスだった。
 給湯室でカップにお湯を注ぐと、茶葉のいいにおいが湯気と一緒に立ちのぼり、こわばった頬をふうわり撫でていく。疲労がいっぺんに溶けていくようだった。カップを両手で包むと、弾むような足取りで廊下を歩く。暖かい紅茶にはお菓子が必要。そういえば、頂き物のタルトがまだ残っていたはずだ。ルイスはくるりと方向転換して解析室のほうへと向かう。
 第一解析室はいまは無人のはずだった。トラッポラ主任は仮眠室にいる。主任は特殊魔法障壁の構築を一時間で終えると、「あーしんど。じゃ、オレはこれでー」といって、愛用のクッションを掴んで姿を消してしまったのだった。大型魔獣相手に怪我人をほとんど出さずに対応できたのも、主任の組んだ、魔獣のするどい牙にも耐える強度を備えた魔法障壁のお陰だった。
 優秀なんだなあ。普段の仕事はサボってばかりなのに。ルイスはちょっとおかしくなって、喉の奥でクスクス笑う。
 解析室のドアノブに手をかけようとして、ルイスはぴたっと動きをとめる。部屋の中から物音がする。トラッポラ主任のサンダルがぱたぱた言っている。あれ、起きたのか。てっきり朝まで寝てると思っていたのに。部屋の中からもうひとつ、足音が聞こえてくる。踵のすり減ったランニング・シューズ。それに、どこかで聞いたことがあるような声。あれは――スペード捜査官?
どうしよう。入ってもいいだろうか。このままここにいては盗み聞きだし――気にならないと言えばうそになるけど。そーっと様子を見て、大丈夫そうなら部屋に入ろう。タルト、取りたいだけだし。ルイスは音を立てないようにドアノブを回すと、細く開いた隙間から中の様子をうかがう。トラッポラ主任の席は解析室の一番奥だ。
「お前が作った魔法障壁のおかげで助かった」
 黒いロングコートの人物が言った。やっぱりスペード捜査官だ。トラッポラ主任は椅子にそっくり返って、背もたれをワザとギシギシ言わせている。機嫌が悪いときのクセだ。
「そりゃーよかった……いや、よくねーし。オマエさあ、もうちょっとどーにかならねーの」
「どうにかって?」
「バカみてーに突っ込むクセに決まってんだろ。相手がどの程度の奴か分からねーのに、いーっつも先走りやがって。あのね、いくらオレの魔法が優秀だからって、脳筋野郎にメチャクチャされたら本来の効果も薄れんの。今回はたまたまうまくいったけど、テメーの身を守れるとは限らねーんだぞ。もっと頭使ってくんないかな」
「ふふ」と、スペード捜査官が笑った。
「あ? なんだよ?」
「いや。いつも心配かけて悪いな」
「アホか。そんなんじゃねーわ」
「でも、大丈夫だぞ。僕にはこれがあるからな」
 スペード捜査官はポケットを探って、取り出したものを指先で掲げてみせた。何の変哲もないシルバーのリングに赤い宝石が一粒。
「ばっ――!! オメー、まだ持ってんのかよ?! んなもんとっとと捨てろ!!」
「おい、僕の大切なお守りに酷いことを言うな。気に入ってるんだぞ」
「別れたダンナの指輪なんて、いつまでも有難がってんじゃねーよ。縁起悪いし、幸運もハダシで逃げていきそ。はー、趣味ワル」
「自分で選んだくせに」
「デザインの話じゃねーわ、アホ」
「お前とはいろいろあったけど、無かったことにしたくないだけだ。それに、これを持ってると、どこかの泣き虫の顔を思い出して、どんな現場でも『絶対帰らなきゃな』って気合いが入る」
「あ、そ。誰それ。変なヤツ」
「とか言って、エースもまだ持ってるくせに。デスクの横の小物入れ一番手前の引き出しの中、あそこが『大事なもの入れ』だもんな?」
「やーかましいわ。オレのはとっくの昔に捨てましたー」
「ふふ、どうだか」
 えーっと。あれあれ。おやおや、まあまあ。ドアの隙間にはさまって、ルイスの頭ではいくつもの情報が高速で回転している。指輪。おまもり。別れたダンナ。待って。この話、今更だけど、自分が聞いてもよかったやつだろうか。情報過多と処理落ちで喉の奥から「ひええええ」と怪音波が飛び出しそうになるのを手のひらで押さえて何とか堪える。ふたりの会話はまだ続いている。今、邪魔をするわけにはいかない。
「……ねえ。やっぱ捨てちまえよ、そんなもん」と、トラッポラ主任。
「捨てない」スペード捜査官はきっぱりと答える。
「なんで」
「また使うかもしれないだろ」
「は――」
 トラッポラ主任の声が途切れた。一瞬の静寂、そして絶叫。
「ハァァァァァ?!」
「じゃあ、資料番号五〇七九の件は引き続き頼んだぞ。なるべく早めに挙げてくれ」
「だあっ!! だから、そういうことは解析室の勤務実態をだな!!」
 カツカツカツ。こちらに近づく足音がして、ルイスは文字通り飛び上がってあとずさりした。ガチャ、とドアノブが回り、扉が開く。スペード捜査官がルイスに気が付くと、ちょっと驚いたように目を大きくして「あ」と呟き、困ったみたいに微笑んだ。眉尻が下がって、目がきゅっと細くなる、まるで少年みたいな笑顔。頬にはおおきな絆創膏。そういえば、この人は魔犯対の第一部隊に所属していたのだった。今回、真っ先に魔獣と対峙した部隊。ひゅうと背筋が凍える心地と、また会えてよかったな、の気持ちがいっぺんに訪れて、ちょっと泣きそうになる。
「きっ、聞こえてましたか」
「あ、う、スミマセン……」
「あっ、いえその、気にしないでください。秘密にしているわけじゃないので……」
 それに、こんなところで話をしていた僕たちも悪いので、と、スペード捜査官は申し訳なさそうに頬をかいた。
「あいつとは古い仲なんです。学生時代からの付き合いで」
「へえ、そうなんですね」
 はい、それは存じ上げておりました。というか、その辺までは皆知っています。ルイスは不必要なほど何度も頷く。続いて沈黙。永遠みたいに長い。どうしよう、何か言わなきゃ。
「あの、タルト、ありがとうございました! とっても美味しかったです!」
「え? ああ、この前の。気に入ってもらえてよかったです」
「解析結果、いつもお待たせしてスミマセン」
「とんでもない。どうせエースのせいだろうし。……トラッポラ主任のこと、お願いしますね。あいつ、放っておくとすぐサボるんで」
 ああ、そうですね。ほんとうにそう。トラッポラ主任、ちゃんとやればすぐ終わるのに、いつまでも放っておいたり、ずるずると後回しにしたりして、他の部署から催促されハメになるのだ。なんだか、それを楽しんでいるようにも見えるほど。同意のつもりでルイスが頷くと、スペード捜査官もちょっと微笑み、「では、僕はこれで」と片手をあげて立ち去った。
 ルイスが解析室のドアをそっと開けると、トラッポラ主任はまだ「結婚指輪をリサイクルすんじゃねーわ、バカデュース」等とブツブツ言っていたが、ルイスに気が付くと、いつもの調子で「おー、おつかれ」と白衣のポケットから片手をだしてヒラヒラ振った。変わり身の早さにルイスは内心で驚く。その態度からは、トラッポラ主任がそれまでどんな表情をしていたのか、まったくうかがえない。
「トラッポラ主任。資料番号四〇三の残留魔法痕、成分分析書あがってます」
「おっ、サンキュー。さーて、やるとしますかあ。またウルセー魔法執行官殿にグチグチ言われるのもイヤだし」
「あの」
「ん?」
 ルイスは口を開こうとして、聞きたかったこととは別のことばを伝える。
「……サボるなよ、と、スペード執行官が」
 トラッポラ主任は「へいへーい」と返事をした。

 

 おふたりは愛しあっているんですか。本当はそう聞いてみたかったのだとおもう。トラッポラ主任はどんな顔で何を言っただろう。笑ってごまかす? 狼狽して否定する? あるいは「ま、オマエがそう思うなら、それでイイんじゃない」と、軽くあしらわれるのかも。ふたりの関係は、一体どんな名前で呼ぶのだろう。同僚。友人。恋人。夫、あるいは、元夫。主任自身にも名づけられないのかもしれないけれど。
 愛じゃなくても、恋じゃなくても、時々ちぎれてほどけても、何度も繋いで結んで続いていく、一言では表すことのできない不思議な関係。近づいては遠ざかっていく惑星みたいに、あるいは、そう、すれ違った相手と束の間のダンスを踊るような。
 ――なんだっていいか。だって、楽しそうだもん。
 ルイスはさっき見た情景をお守りみたいに胸の中へとしまいこむと、解析室のお菓子のカゴからタルトを一つ手に取った。チェリー味はまだ食べられずに置いてあった。

 

【付 記】

「花束を渡す」
三春充希さん(Twitter:@miraisyakai)の下記投稿を参考にしました。
“選挙とは、あらかじめ空白にしておいた権力の座に、一定期間だけ誰を就けるのかをそのつど決めていく手続きです。だからその勝ち負けは常に一時的なものにすぎません。次があります。次にむかっていきましょう。”
https://x.com/miraisyakai/status/1810451599405572527

「ヘアピンを落とす」
一九六九年六月二八日、ニューヨークのゲイ・バー「ストーンウォ―ル・イン」にいた同性愛者たちが警察の手入れに抵抗しました。これをキッカケに街の各所で暴動がおきて、何人ものけが人や逮捕者を出しました。この事件は「ストーンウォールの反乱」と呼ばれます。英語の古いスラングでは、「ゲイであることをほのめかす」ことを「ヘアピンを落とす(to drop a hairpin)」と表現したそうですが、ストーンウォールの反乱は「ヘアピンの音が世界に響き渡った」といわれました。この事件のあとにおこなわれたデモ行進は「プライドパレード」の起源となって今に続きます。

 

【参考資料】

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朱喜哲「〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす―正義の反対は別の正義か」太郎次郎社エディタス、二〇二三年
東京都選挙管理委員会「選挙Q&A(選挙運動と政治活動)」『東京都選挙管理委員会事務局』https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/qa/qa-katudou/ 二〇二四年十一月二十二日閲覧
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北海道放送報道部道警ヤジ排除問題取材班「ヤジと民主主義」ころから、二〇二二年
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湯川憲比古「参加・実践型 市民選挙のノウハウ」 https://eda-jp.com/yukawa/senkyo/index.html 二〇二四年十月十一日閲覧
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「用語解説・ストーンウォール事件」『Magazine for LGBTQ+Ally PRIDE JAPAN LGBT』 https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/glossary/sa/1.html 二〇二四年十二月二十八日閲覧

Notes:

【公開記録】
2025/02/09 VALENTINE ROSE FES 2025にて発刊
2025/06/03 AO3にて公開

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