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ハッピーエンドにお決まりのもの
ロマンス小説が好きだ。
『高慢と偏見』は言うに及ばず。そのほか多くのロマンス小説を読んできた。
戦時中はジョージェット・ヘイヤーの新刊を心待ちにし、ヒーローとヒロインをわたしとクロウリーに当てはめた。戦後はハーレクイン社の本をごっそり取り寄せた。今でも書店のどこかに年代コレクションが並んでいるはずだ。最近の作品だって読む。
さすがに『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』は「早すぎる」と思って閉じ、本棚の奥深くへと隠した。ガブリエルが「ポルノありがとう」なんて言ったときには冷や汗ものだっ た。
ロマンス小説は必ず二人が結ばれるのが好きだ。初めは正反対な性格や立場で反目するヒーローとヒロイン。しかし次第に惹かれ合い、一緒に困難を乗り越え、誤解を解き、キスを交わし、愛し合い、そしてハッピーエンドで終わる。
読み終わるたび「いつかは」と表紙を撫でた。いつかはこれらのロマンス小説のように、クロウリーとハッピーエンドになれるだろうかと。
そんな空想を羽ばたかせる間にハルマゲドン未遂が起き、ガブリエルが失踪し、地上に残ったクロウリーとの仲が引き裂かれた……かと思いきやキリストの再臨の騒動で再会し、色々あって関係性は修復された。そう、わたしとクロウリーは一緒に地上で共に過ごす仲に戻った。
違うのは、わたしたち二人の関係性が「恋人」と呼ばれるようになった点だ。マギーとニーナから「おめでとう」「やっとね」と何度も言われた。
「恋人」になったからと言って、クロウリーとわたしの習慣は大きく変わっていない。いつものように散歩し、食事し、たまに観劇を楽しむ。公園で堂々と手を繋ぎ、挨拶のキスが加わっただけだ。
そしてクロウリーの新たな表情を知った。恋人以前には知らなかった姿だ。早朝に起こしに行くと、クロウリーがあんなに無防備な表情で寝ていると知らなかった。世界中の画家や写真家に見せてあげたい。いいや、やっぱり知っているのはわたしだけでいい。
けれど見せてくれない表情もある。例えば愛を告げるたび、クロウリーは顔を背ける。寝顔はあんなに曝け出してくれるのに。でも、耳の先が赤くなるのにクロウリー自身は気づいていない。
フラットの観葉植物たちもわたしに協力的だ。クロウリーを起こしにきたわたしに、植物たちは悪魔の様子を教えてくれる。
わたしへのランチの誘い文句を何度も練習した夜のこと、ああでもないこうでもないとスマートフォンを片手に手土産に悩みながら歩き回った彼のことを、植物たちは教えてくれた。これはわたしと植物たちの秘密だ。
話が逸れた。
ロマンス小説では二人が結ばれたら話が終わる。でも、わたしたちにとって今の関係は終わりではない。むしろ、これからロマンス小説の続きを味わえる。憧れていた小説の、さらに先がわたしたちには開かれている。なんて幸せだろう!終わりのないコース料理のようだ。
だけど、欠けていたものがあった。「恋人」になったわたしは、クロウリーと「それ」をやってみたかった。つまり愛し合う行為を。
戦前のロマンス小説はキスで終わることが多かったが、時代を経て露骨なベッドシーンも描かれるようになった。時代に応じて、読者の嗜好も変わり、小説も応えたということだろう。
わたしも同じように、恋人になった当初はクロウリーとキスさえできれば充分だった。あの悲しいキスを塗り替えることができるなら、充分すぎると。
でも、時が経つごとにわたしの心境も変わった。いや、読んできた小説群に影響されたのか、それともわたしの欲が深くなったのか。
『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』でなくていい、でも「恋人」になったクロウリーとメイクラブをしたかった。
古書店でワインを空けたとき、思い切って提案を持ちかけた。
いつものように夕方の散歩とディナーから帰り、リラックスした良い雰囲気に満ちていた。これまでの習慣だと、数時間後にはクロウリーはアルコールを抜きフラットに一人で戻る。それでは意味がない。彼が戻る前に、話だけでもしておきたかった。
クロウリーはグラスをくるくる回し、足をだらんと延ばしてわたしの向かいのソファに寝そべっていた。今しかない。このまま帰らせたくない。グラスを割らないように慎重に、何気なくわたしは口を開いた。
「クロウリー、わたしたちは次の段階に進むべきだと思う」
「次の段階?」
「わたしたちはその、キスもするしハグもする」
クロウリーの眉が上がった。よし、話に引き込むことはできた。
ここからの言い方が肝心だ。慎重に言葉を選ぶ必要がある。「セックスしたい」と言い出すのはあまりに直接的だ。
もっとロマンチックに言いたい。ロマンス小説のヒーローのような、格好よくて優しさに満ちたセリフを告げたかった。
「ロマンス小説で主人公たちが結びついたら、その、一緒にすることがあるだろう。必ず最後のほうに。それを君としたい。もし君がよければだけど」
顔が熱い。おかしい、もっとスマートな誘い文句があるはずなのに。こんな回りくどい方法で伝わるはずがない。それに「それを君としたい」だなんて「察してくれ」とクロウリーに言っているようなものだ。アルコールが入った状態で切り出すのは失敗だったかもしれない。つくづく自分に呆れていると、クロウリーがグラスを置く気配がした。
「ロマンス小説を読むのか? エンジェルが?」
この趣味は確かに言っていなかった。そこを聞いてくるか。このタイミングで?
でもクロウリーが気になるのなら言うしかない。
「実は読む。絶対にハッピーエンドで終わるだろう。だから好きで」
実はコレクションを揃えていることは黙っておいた。刊行順に全て揃えてある。
「ハッピーエンドはいいよな」
「うん」
クロウリーもハッピーエンド好きで安心した。必ずハッピーエンドなのを逃避文学と批判する向きもあるかもしれないが、わたしに言わせれば逃避文学だって……と続けようとし、急いで思考を逸らした。今はロマンス小説談義をしている場合ではない。
「あの、で、わたしの提案は……」
「いいぜ」
「え? いいの?」
あっさりした返事で、随分と拍子抜けしたのは確かだ。まるで「ランチに行こう」「いいよ」と同じ感覚だ。ちょっとの間、びっくりしすぎて返事をするのも忘れた。
ソファに座っていたクロウリーは体勢を変え、わたしと向き合った。そして呆れたように首を傾げて尋ねた。
「お前が言い出したことだろ」
「……そ、そうだけど」
承諾は喜ばしかったが、ここまであっさりとした返事は予想していなかった。小説ではもう少し、ロマンチックなやり取りとか描写があったはずだ。もしかして、普通はこうなのか?それとも相手が悪魔だから?おかしい、今すぐハーレクイン社に助けてほしい。
心の中で助けを懇願していると、クロウリーの更なる言葉が飛び込んだ。
「希望の場所はあるか?」
「ば、場所?」
頭の中が一瞬だけ真っ白になった。ホテルがいいと聞かれているのか?それとも、古書店の二階がいいと答えるべきなのか(わたしたちはいま古書店にいた。だから一番近いベッドは二階だ)。
額の汗を感じながら、なんとか小説のような言葉をひねり出した。
「き、君の好きな場所でいい」
「でも、せっかくだからお前の希望を聞きたい」
どこまで優しんだ、君は!と言いたくなるのを堪えた。
「わたしは君の希望を聞きたい」
クロウリーはため息をついた。
「俺だってお前の希望に沿いたい。……これじゃあ堂々巡りだ。明日でもいいか?」
「あ、明日?」
「調べる時間が必要だろう。もう遅いし、お前も考えておいてくれ」
そう言って、彼はスマートフォンをポケットにしまって立ち上がった。置いていかれるような気持ちになって、わたしも急いで立った。慌てたせいで、椅子が倒れる音がしたけど気にしなかった。
「考えるって何を?」
頭がくらくらする。アルコールのせいか?クロウリーの言葉のせい?
「場所以外にも、あるだろ。持っていくものとか」
「ああ、うん。そうだね」
クロウリーの思考が早すぎたが、彼の言う通り心の準備が必要なのは確かだった。持っていくものってなんだろう。これも調べる必要がありそうだ。
そしてアルコールを抜いてクロウリーと別れた。わたしの提案は拒絶されなくて、胸を撫でおろした。でもクロウリーが思ったよりも積極的だったの意外だ。彼もずっと、望んでいたことだったのだろうか。まずい、また顔が熱い。
とりあえず本棚に向かった。予習をしておかないと、今こそ『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』を手に取るべきだろうか。
翌日、クロウリーは大量の紙袋を抱えて書店を訪れた。
「マイディア、その荷物は」
「色々と調べたんだぜ。まあ見てなって」
そう言った彼はサングラスを下に降ろし、ウィンクを決めた。いつだってこのウィンクにわたしは弱い。一晩中かかって調べごとをした今朝は、特に眩しい。
「不動産会社からパンフレットを取り寄せて、あとネットの情報も印刷しておいた。お前さえよければ、今から内覧に行ってもいい」
「不動産」
わたしが言葉を続ける間もなく、クロウリーはテーブルにパンフレットやホチキス留めされた資料を並べ始めた。どの冊子にも家の写真、見取り図、地図が載っている。場所や物件は様々だ。ロンドン、パリ、一戸建ての家、マンション……。
クロウリーに「何をしたい」とはっきりと告げていないことをここで思い出した。そう、わたしは「ロマンス小説のような最後をなぞりたい」と言っただけだ。
「次の段階って……」
「小説の最後といえば『二人は幸せに暮らしました』だろ? ふたり暮らし用の物件を探したが、本の収納を考えるともっと広い家がいいか?」
そうだ、何はともあれ同居だ。一緒に住めば、クロウリーと過ごす時間も増える。勝手に想像し、暴走した自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「君の希望は?」
パンフレットを一部だけ手に取り、胸に抱えてみた。印刷されたばかりの資料はまだ熱い。
「そうだな、庭付きのコテージ」
うん。君らしいな、と答えた。そして心の中で、ロマンス小説群はコテージに持っていかないと決めた。
