Work Text:
毎日のように声をかけた。何を、という訳でもない。何を言えばいいかも分からないままとにかく名前を呼んだが、彼はどこか既視感すらあるぬけがらの人形のようで、反応すらしてもらえなかった。
彼の母親は鬼のような顔をしてもう来るな、これ以上関わるな、疫病神、と罵ってきたが、それにすら一切の反応を示さなかった。
それでも根気よく話しかけて、いつかは言葉を交わしてくれると思っていた。笑って顔を上げ、前を向いて歩き出してくれると思っていた。
そして期待していた通りになった。その日、彼は初めて言葉を返した。
しかしその期待は甘い見通しだったと突き付けられた。
その言葉は切れ味の良いナイフのように心を切り裂き、その涙は切れ味の悪いナイフのように心を抉った。
「──返してよ……!大好きな父ちゃんを返してよ!!」
真っ赤に染め上げた顔で悲痛な叫び声をあげた少年は、差し伸べられた手を払い除ける。
手の主はぐっ、と言葉を飲み込み心痛のあまり眉根を寄せ、悔しげに唇を噛んだ。
何を言えばいいのか分からない。今までなんて浅はかな行為をしてしまっていたのだと後悔した。
少年の願いを叶えられない事も、叶わない事がどんなに虚しい事かも、自分はよく知っていたはずなのに。
何を言われてもどうしようもない事だと、よく知っていたはずなのに。
「ロイドのせいなんだからな!ロイドのせいで父ちゃんは死んだんだ!父ちゃんを殺したロイドなんて大嫌いだ!!」
☆ ☆ ☆
「お前は、私より先に死ぬな」
慈しむように頭の上に添えられた温もり。
瞬間に駆け巡る、失ったはずの思い出。
おひさまの匂いを纏わせて抱き締めてくれた母親。
優しく大きな手で空高く抱き上げてくれた父親。
「──ロイド……私の息子よ……」
無限とも思える星を泳がせる夜空が近くなる度、胸が高鳴った。
いつか、もっともっと近付いて、もっともっと星の事を知れたらいいなと思った。
いつか、自分が抱き上げられなくても星に近付けるくらい大人になったら、おとうさんと、おかあさんと、一緒にあの一層眩しく輝く星を取りに行くんだ。
そう願い、信じて疑わなかった。何も知らない子供だった。
「……っ、とうさ……!父さん!」
流した涙は父に見られてしまっただろうか。心配、させてしまっただろうか。
立派な大人になった所、見せたかったのに。
包んでいたはずの温もりは消え、ひとりこの大地に残された。
途端に心の隅に隠れていた幼子が顔を出した。
まるで張りつめていた糸が切れるかのように、崩れるように地に膝をつき、手渡されたロケットを大事に、必死に握り締めた。
これでもう、あの時抱いた願いは叶わない。
共に星を取りに行くことは叶わない。
父の温もりを求めることは叶わない。
──永遠に。
─────
小さな肖像画に描かれた赤子の顔には、いまいちぴんとこない。
だが赤子を護るように微笑みながら寄り添う彼は間違いなくクラトス──父親で、朧気な記憶に一致する女性は間違いなく母親なのだと、心の奥に残る幼い自分が告げていた。
「ロイド」
耳心地の良い声に名前を呼ばれ、振り返る。音もなく吹く風と陽光を受け、キラキラ光る髪を靡かせたコレットが控えめに微笑みながら立っていた。
「となり、いいかな?」
頷くと、彼女はよいしょ、と小さく漏らし青く生い茂る草の上に腰を下ろす。
ロイドの手の中にあるロケットを覗き込み、ふふ、と顔を綻ばせた。
「赤ちゃんのロイド、可愛いね」
「そうかな……これが俺って言われても、そんなに実感ないんだけど」
「ちゃんと面影あるよ。クラトスさんに似てるなぁって思ってたけど、こうして見ると、お母さまにもちゃんと似てるね」
つん、と頬をつつかれ、ロイドは気恥ずかしそうに前髪を摘んだ。
「俺、ちゃんと父さんと母さんの……二人の子供なんだな」
「そだよ。この顔を見たら分かる。とっても愛されてたんだね」
「……ポールもきっとそうだったんだ」
陰った声が落ち、ロイドの表情はしゅんと曇る。コレットも同じように地面へと視線を落とした。
「……ロイドは、マーブルさんを助けようとしたんでしょ?あの頃のロイドには……私達には……どうしようもなかったんだよ……」
「……そうだ。どうしようもなかった。だから悔しいんだ」
ぐっとロケットを握り込んだ。耳に焼き付いて離れないポールの泣き声が、心を掻き乱す。
「ちっちゃかった頃、いつも夜空の下で父さんに肩車をして貰って、星を眺めてた。強請るといつもそうしてくれたんだ。誕生日プレゼントには一番綺麗な星が欲しい、なんて無理言って……だけど、父さんはそれでもいつも笑ってた。いつか取りに行こう、って。
だけど、それはもう出来ない。父さんはもう帰ってこない」
ロイド、と呼びかけるコレットの声が遠く聴こえる。ポールの泣き声が彼女の呼び掛けを掻き消している。
それにも気付かず、半ば取り憑かれたように言葉を紡いでいた。
「ポールも同じだ。父親との幸せな日々があって、暖かい思い出があって、小さな願いがあって、約束があって……それが奪われちまったのは──村が襲われた原因を作ったのは、俺だ。あの頃の俺にどうしようもなく力が無かったからだ。俺のせいだ。俺が殺したも同然だ。ポールの親父さんはもういない。帰ってこない」
「ロイド、それ以上はだめ」
握り込んだ手がコレットの両手に包まれ、我に返った。彼女は哀しげに、真っ直ぐな瞳を向けていた。
「ロイドはもういっぱい、犠牲になった人の命を背負ってるんだよ。それ以上背負ったら……重すぎてつぶれちゃうよ」
「俺は……そんな、こと……」
「……ロイド、気付いてる?ポールに大嫌いって言われてから、笑うの下手になってる」
そんな事ない、と笑おうとして、コレットの言う通りなのだと気付かされた。まるで表情筋が言うことをきかない。
「ポールのお父さまがもういないのも、クラトスさんが──ロイドのお父さまがもういないのも、ロイドが悪いんじゃない。間違えちゃ、だめだよ。
……ロイド、しばらくお休みしたほうがいいよ。ずっと頑張ってたんだもん。ちょっとくらい、平気だよ。ね?」
微笑むコレットに言葉を返そうとして、何も浮かばなかった。何も考えられなかった。
ただ俯くロイドに、コレットは静かにずっと寄り添っていた。
☆ ☆ ☆
どうして ひとりにしていったの?
もう いらなくなっちゃったの?
おいてかないで!
いいこにしてるから!
もう わがまま いわないから!
おほしさまが ほしいなんて もういわないから!
ここはどこ?
しらない ばしょだよ
こわいよ
さみしいよ
かえってきてよ
ずっとまってるのに
どうして むかえにきてくれないの?
どうして しんじゃったの?
しぬのは もう あえないことなのに
どうして?
いっしょにいたいよ
ひとりぼっちにしないで
おいてかないで
いかないで
おかあさん
おとうさん
父さん
がばりと跳ね起きた身体は、全身汗だくだった。
荒い呼吸を整え、警鐘のように騒ぎ立てる胸を抑える。
(…………夢?)
くしゃりと自らの髪を掴んだ。最後に触れてもらった温もりを捜したが、汗ばんだ鳶色の髪があるだけだ。温もりはもうない。
エクスフィアのついた左手で、頼るように首から提げたロケットを握り締めた。
今のは夢だったのだろうか。それとも朧気な記憶の回顧だろうか。まだ明けそうにない外を見遣り、深い溜息をついた。
(疲れてる……いや、イラついてるのか、俺)
二つの世界を統合すれば、全て上手くいく──心のどこかで甘く見ていたのかもしれない。実際にそうなればいいと思っていたし、信じていた。
しかしこの世はそう上手くはまわらないらしい。シルヴァラント人とテセアラ人はお互いの主張を持ってあちこちで小競り合いするようになり、その苛立ちは主に再生の神子であるコレットに飛び火するようになってきた。
先日もゼロスの進言でテセアラからの和平の使者としてイセリアを訪れたしいなが、顔をしかめていた。
裏社会ではきな臭い動きも見えてきた。気を付けろ、と。
それでも気丈に彼女は笑う。隣にいてくれる。本当なら自分が守ってやるべきなのに。
ここで自分がへこたれている場合ではないのに。ミトスにもあんなに大見得を切ったというのに。
大地に残されたエクスフィアの回収をするために旅に出る、と言い出したのは自分だ。父にもそう宣言して、別れた。
彼女はこれからも隣を一緒に歩きたいと言ってくれた。その言葉が凄く嬉しくて、とても大事にしなければならないものだと思った。
なのにそれはまだ果たせていない。始まってすらいない。
神託が下った次の日、イセリアは自分の驕った行動の結果によりディザイアンに襲撃され、沢山の村人が命を落とした。その中にはポールの父親もいた。
彼はあの日から、まるで心を失った時のコレットのように笑わなくなっていた。あんなに明るく元気な子だったのに。
せめて旅立つ前に少しのわだかまりも無いよう、なんとか彼を励まそうといているが上手くいかず、あまつさえ旅に付き合わせるコレットに、気を使わせてしまっている。
たった一人の子供に憎悪されるより、あれだけ大好きだと言っていた世界に憎悪されるコレットの方が、もっともっと辛いのに。
これでは彼女が天使疾患に耐えている間、何も出来なかったあの頃の自分と変わらない。
くらり、と目眩がして頭がぼんやりしてきた。難しい事を考えすぎたのかもしれない。全身がだるい。
頭が重いな、と思った途端、身体は再びベッドへと倒れ込み意識は閉ざされた。
─────
ロイドは朝が物凄く得意という訳ではない。事実、学校に通っていたころはしょっちゅう寝坊していた。
それでも昼食の時間まで眠りこけているなんて珍しい。最近ポールとかいう村の子供の事で悩んでいるらしく、毎日イセリアに赴いては気落ちした表情で帰ってくるから疲れているのだろうと思っていたが、さすがにこの時間まで起きてこないのは違和感を感じた。
ダイクは二階にあるロイドの部屋へ向け、声を張り上げた。
「ロイド、もう昼メシの時間だ。食べないと身体が持たねぇぞ!」
返事もない。
訝しげに首を傾げてから階段を上がり、すぐ脇のロイドが眠るベッドを覗き込む。
彼はベッドに横たわっていたが、苦悶の表情を浮かべていた。ほのかに顔が赤い気がする。額に薄く汗を滲ませていた。
「おめぇ……もしかして」
ダイクは彼の額に手を添えて体温を確認すると、小さく笑って溜息をついた。
「風邪ひくなんて、何年ぶりだったかな」
☆ ☆ ☆
「あれっ、ダイクおじさま!こんにちは」
イセリアに一軒しかない道具屋から出てきてすぐにダイクと鉢合わせたコレットは、紙袋を抱えたまま少し驚いたように目を丸めた。
「おう、コレット嬢ちゃん。買い物かい?」
「はい!ロイドといつでも旅立てるように、準備しておこうと思って」
「そうかい。いつもあいつの事、気にしてくれてありがとうな」
こちらこそ、とコレットは笑い、不思議そうに首を傾げた。
「珍しいですね、おじさまが村まで来るの。お買い物ですか?」
「ああ、ちょっと薬を買いにな。うちにある薬草じゃ足りなくてよ」
「おくすり?」
「ロイドが風邪ひいたみてぇなんだ。珍しいだろ」
えっ、とコレットは眉をひそめた。
連日ポールの所に通いつめ、昨日は特に口数が少なく、浮かない顔をしていると思ってはいたが、もしかしたらあの時には既に体調が悪かったのかもしれない。
ロイドが風邪をひくなんて、子供の頃に一度あったかなかったかくらいだ。きっとロイド自身、自分の体調不良にだって疎いに違いない。
妙に弱気だったのはてっきり疲れからだと思っていたが、風邪のせいだったのか。
それか弱気が限界を越えてしまったせいで、風邪をひいたのか。
きっと両方だ、ときゅっと目を閉じた。
(気付いてあげられなかった……となりにいたのに……)
しゅんと肩を落とすコレットの考えに気付いているのか否か、ダイクも溜息混じりにやれやれと肩を落とした。
「本当はリフィル先生に診てもらおうと思ってたんだがな、留守みてぇだな?」
「あ、そっか……先生とジーニアス、旅立ち前に近くの村を巡って子供達に挨拶するって言ってました。しばらく学校をお休みしちゃうから、って。そろそろ帰って来る頃だと思うけど……」
コレットはロイドとダイクの家がある森の方と、今しがた自分が買った紙袋の中身を交互に見て少し思案し、大きく頷いた。
「おじさま、お家にお邪魔してもいいですか?ちょうどおくすりも買ったし、ロイドの看病させて下さい。せめて先生が帰ってくるまででも」
きりっとした大きな蒼い瞳を見つめ、ダイクは目を細めて笑った。
「……そいつぁ助かる。実はな、人間の病気についてはどうも疎くてよ。何よりあいつも嬢ちゃんが近くにいた方が、早く治りそうだしな。お言葉に甘えさせて貰おうかい」
─────
ぼんやりとした意識のまま目を開ける。うまく身体が動かないのは何故だろう。
いまいち働かない脳でとりあえずここが自分の部屋だということだけ理解すると同時に、聞きなれた声がした。
「あ、ロイド。起きた?」
声の方向に視線を向けると、湯気の立つ浅い器を手にしたコレットがベッドの脇に立っていた。
「コレット……?」
「具合はどう?ごはん、ちょうど持ってきたの。食べられそ?リゾットなんだけど」
「具合……?」
コレットがここにいる理由も言葉の意味も理解できずにいると、彼女は少し困ったようにくすりと笑い「やっぱり」と零した。
「ロイド、風邪ひいちゃったんだよ。いつも元気だから、自分でもわかんなかったよね。ごめんね、辛いのに気付いてあげられなくて」
ゆるりと身体を起こし、覚醒しきらないままコレットが持っているリゾットを見た。ほわんと食欲を促す匂いがする。
きゅるん、と情けなく腹が鳴った。
「……腹減った」
ふふ、とコレットは笑い、普段ロイドが使っている作業机から椅子を引っ張ってきて、ベッド脇に腰掛ける。
準備していたらしいスプーンでリゾットを掬い、ロイドの口元に持っていく。
差し出されるまま大人しく口にして咀嚼するが、なんだか自分がとても間抜けな姿を晒しているような気がした。
(何してんだろ、俺)
「よかった。ごはんが食べられればおくすりも飲めるし、早く良くなりそうだね」
にこりと笑い、コレットはロイドの口へスプーンを運び続けた。
飲む込むタイミングを見計らいながら持っていくと、彼はぼやっとした顔でもぐもぐと食べ続けてくれる。
(わぁ……ロイド、なんだかちっちゃい子供みたい。かわいい〜)
不謹慎ながらにされるがままの大人しいロイドにときめきつつ、最後に残りのリゾットに薬を混ぜこむ。スプーンで掬って何の気なしに口へ突っ込むと、彼はすぐさま嫌そうに顔をしかめた。
「にがっ……」
「ロイドえら〜い!おくすりのめたね〜!」
「コレット……楽しんでるだろ……」
「あっ、ばれちゃった?ごめんね」
ロイドは苦味のあるリゾットを飲み込み、ぺろりと舌を出すコレットをじっと見つめる。
妙に心臓の鼓動が強い気がするのは、風邪のせいなのだろうか。
風邪なんて下手したら十年以上はひいてないから、よくわからない。
「そんなに酷くなさそうでよかった。今日はゆっくり、たくさん寝てね。ロイドが寝るまで、ここにいるから」
そう言うとコレットは机の上に置いていた本を取り、膝の上で開いた。
──ここに、いてくれる。コレットが。
それがわかった途端、抗い難い猛烈な眠気に襲われた。
──せっかくいてくれるなら、ずっと起きていたいのに。
だってコレットはずっと、俺が寝るまで眠ろうとしなかった。
眠らないことを隠そうとしていた。
コレットが眠れなかったから、俺は起きていたかったのに。
俺は、コレットの寝顔が見たかった──
再びベッドに潜り込みやがて静かな寝息を立て始めたロイドを見て、コレットは小さくため息を零す。
目を覚ます直前、本当に小さな声ではあったが、彼は確かに寝言で「おとうさん」と呟いていた。
(クラトスさんとの大切な思い出……思い出しちゃったから、つらいんだね。ポールの事)
「……おやすみ、ロイド」
薬を飲ませたら帰ろうと思っていたが、やはり今日は泊まっていこうかなと思い直す。
ロイドが寝るまで、と言っていたはずのコレットは、その後もずっと椅子に座り、彼の寝顔を眺めていた。
手元の本の頁が、それ以降捲られる事は無かった。
☆ ☆ ☆
──そうだな、いつか一緒に取りに行こう
──だが
──……を掴むのはお前だ、ロイド
ぱか、と目を開けて、飛び込んできたそれを理解するのに時間がかかった。
さらさらと顔に触れるこそばゆい金色の髪。伏せられた長い睫毛。額に温かさを感じると共に、花のような柔らかくて甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
「起こしちゃった?ロイド、おはよ。お熱下がったみたいだね」
コレットの顔が離れ、はっきりと笑顔が見える。
どうやら額をくっつけて熱を測っていたようだ。
「お、おはようコレット……」
「……あれ?まだちょっと赤いかな?」
「大丈夫!!もう大丈夫!!」
ドキドキと騒がしい心臓を無視してぶんぶんと首と手を横に振ると、コレットはその勢いに納得したようだった。
「……ずっといてくれたのか」
「うん、結局泊まらせて貰っちゃった。久しぶりにダイクおじさまと一緒にご飯食べたかったし」
「そっか……ありがとう。迷惑かけちまったな」
そんな事ないよ、と笑うコレットに、何故だかまた心臓がどきりとする。まだ本調子じゃないのかもしれないが、なんとなくこの症状を言うのは気恥ずかしくて、告げられなかった。
「……コレット、ちゃんと寝たか?」
不意に不安になり彼女に尋ねると、彼女は一瞬ぱちくりと目を丸め、くすりと笑う。
「だいじょぶ!ちゃんと寝たよ。ロイドが治してくれたから。ロイドに作ったついでにリゾットも食べたし、ロイドの熱もちゃんとわかるよ」
コレットは服の下からロイドが贈った誕生日プレゼントの首飾り──要の紋を持ち上げて見せ、満面の笑みを浮かべる。
朝ごはんの準備してくるね、と立ち上がると作業机の上にあったタオル入りの水桶を抱え、慎重に階段を降りていった。足音を聞くにとりあえずは転ばず、無事に降りきったらしい。
(……何を今更心配してんだ、俺……コレットがずっとここにいてくれたってのに)
ロイドは大きなため息をつき、ばふんとベッドに倒れ込んだ。
昨夜も父の夢を見た気がするが、目を覚まして一番にコレットがいて驚いたせいか、内容はもうどこかへ吹き飛んでしまった。
彼女が面倒を見てくれたおかげか、熱はすっかり下がって身体も軽い。
でも何故だろう。彼女の一挙一動に胸が騒ぐ。苦しくはないが、落ち着かない。
これも治りかけの風邪の症状なのだろうか。
横になったまま、コレットの去ってしまった自室をなんとなく寂しげに眺めると、壁に立て掛けられた二振りの剣が視界に入った。
片方はダイクから贈られた氷の魔剣。
片方はクラトスから贈られた炎の魔剣。
二人の父親にそれぞれ託され、世界を統合する力を与えてくれた、大切な剣。
父親たちの、信頼と愛情の証。
導かれるように見つめ、かつてクラトス──父親と剣を交えたことを思い出す。
静かに息を飲み、ゆっくりと大きく目を見開いた。
ちゃり、と首元のロケットが揺れた。
ほとんど転がり落ちるようにベッドから降り、したたかに肘を打ち付けた。痛って、と漏らしつつ、床に寝そべったまま階下へと大声で叫ぶ。
「親父!!」
「うぉっ!?なんでぃロイド、びびらせんな」
「どしたのロイド?病み上がりなんだから、無理しちゃだめだよ。ごはんならお部屋に持っていくから」
階下ではダイクとコレットが驚いたようにこちらを見上げていたが、構わず叫んだ。
「俺の木刀、どこ!?」
☆ ☆ ☆
「あなた本っ当に馬鹿なのね!もう来ないでって何度言えばわかるの!?」
二本の木刀を抱えたまま、閉まりかけた扉を空いている手でがっと掴み、ロイドは無理やりに玄関の更に奥へと押し入った。
「ちょっと!?」
「俺、風邪ひいたのに気付かないくらい馬鹿だから!お邪魔します!」
「挨拶すればいいってものじゃないわよ!!」
喚き散らす母親──リリアを無視し、一直線に彼──ポールの元へと向かった。
ポールは相変わらず人形のような顔で、父親に貰ったという熊のぬいぐるみを抱えている。
それを掴んで取り上げると、途端に涙を浮かべたポールの瞳がロイドを捉え、リリアは金切り声をあげた。
「何するの!?返して!!それ以上その子に近付かないで!!」
「ポール、剣を教えてやる」
「……け、ん?」
「そうだ」
しゃがみ込んだロイドは持参したうち一本の木刀をポールに握らせ、光のない瞳を見つめた。
「俺の父親は、俺に剣の稽古をつけてくれた。だから俺も、お前に稽古をつける。俺がお前の父親になる」
「父ちゃん……?ロイドが、父ちゃんに……」
「馬鹿言わないで!!そんな事で父親になれる訳ないでしょ!!ポールの父親は私の夫だけ!!あの人だけ!!」
すっと立ち上がり、ロイドは真っ直ぐにリリアを見る。
「血は繋がってなくても、父親は父親だ。俺の親父はドワーフでも間違いなく、俺にとっては父親なんだ」
「そうじゃない!私の夫はあなたなんかじゃない!!あなたはあの人じゃない!!」
「……リリアさんにとっては『夫』が、ポールの父親なのか?」
「当たり前でしょ!!」
「じゃあリリアさん、今日から俺が夫だ。結婚しよう」
は、とリリアは絶句する。目の前の馬鹿が何を言っているのか、理解するのに時間がかかっていた。
あまりにもさらりとした求婚だった。ムードのへったくれもない。
──あの人とはまるで違う。
「よし、これで父親になったな。ポール、外に行こう。俺に教えられる事、全部教えてやる。俺の父さんみたいに」
プロポーズしておきながら、即嫁への興味を失ったように息子へ話しかけるロイドにリリアは戦慄き、傍にあったトマトを怒り任せにむんずと掴んだ。
「あなたねぇ……冗談も馬鹿なのも……大概にしなさいよ!!!」
──それはもう二度と見られないような、美しいフォームの応酬だった。
ポールの目には、二人の一連の動きがスローモーションに見えていた。
片脚を上げ、軸足は床から垂直に伸びる。上げていた脚を前に踏み込み、重心を前へと移動させる。腰を捻り、振りかぶった腕はしなるように弧を描いた。
リリアの手から放たれたトマトは回転が加えられ、真っ直ぐに大馬鹿者──ロイドへと飛んでいく。
狭い室内で速度を上げたトマトが迫り、あわや直撃という一歩手前でロイドは鋭くそれを睨みつけると、手にしていた木刀を構えた。
ロイドもまたぐっと床を踏み込む。しっかりと両手で握り込んだ木刀は綺麗な半円の軌跡を描き、刀身のど真ん中にトマトを当て、遠心力に身を任せてそのまま腕を振り抜いた。
「あっ!やべぇ!!」
ロイドは青ざめるが時すでに遅し。
打ち返されたトマトは更に加速してリリアの顔面へ直撃し、ぐちゃっと嫌な音を立てて弾けた。
でろ、とリリアの顔面を潰れたトマトが伝う。彼女は棒立ちのまま動かない。
「え、えっと……リリアさん……その、ごめん……つい反射的に……俺、わざとじゃ……」
はわわ、と母親に悪戯がばれた三歳児のように顔面蒼白のロイドが震えていると、リリアの顔面からトマトが剥がれ、今までに見たことの無い怒りの形相が現れた。
ぼちゃ、とトマトはこれまた汚い音を立てて床に落ち、カーペットに赤い染みを作った。
「……なにするのよ……このくそがき!!」
「わーっ!?待ってくれ!!リリアさん、ストップストップ!!」
リリアは籠から次なるトマトを鷲掴み、ロイドへと投げつける。ロイドは無我夢中で木刀を振り、飛んできたトマトを打ち返す。
返されたトマトはべちゃりと壁に張り付いた。
次々と投擲されるトマトと、それを一つも零さず木刀で打ち返すロイド。
その光景をじっと見つめていたポールは、瞳に光を宿しながら叫んだ。
「すげぇ……けんってすげぇ!それ、やりたい!」
はた、とロイドとリリアの動きが止まる。ポールは構わずキッチンへ向かいトマトを握ると、ロイドへ向かい思い切り投げつけた。
その軌道は頼りなく、ろくな飛距離も出さずに地面へと向かう。
「あっ、どこ投げてんだ!」
ロイドはあさっての方向へ落ちそうになったトマトの下へ滑り込み、木刀を振り上げる。
それは確実にポールの放ったトマトを捕え、天井へべちゃりと張り付かせた。
「すっげー!今のも返せるなんて!ロイドすごい!」
きゃっきゃとはしゃぐポールを見た後、ロイドとリリアは顔を見合わせ、どちらともなく笑い出した。
「ぷっ……ちょ、ちょっと……なんでそんな必死に打ち返したのよ……天井についちゃったじゃない!」
「あっはは……リリアさんこそ、この家なんでこんなにトマトがあるんだよ!俺への嫌がらせか?」
「ロイド!もっとやって!」
笑顔でトマトを握るポールに、ロイドは頷きしっかりと木刀を構え直した。
「よし来い!ひとつ残らず打ち返してやるぜ!この家のトマトを殲滅してやる!」
─────
「ロイドばっかり責められてるの、見てらんないよ……そもそも最初に不可侵契約を破ったのは、ボクなのに」
「恐らくロイドが毎日通ったから、彼にばかり膨らんだ哀しみが向いてしまったのね。リリアさんはともかく、あの子はまだ小さいから。何を恨んだらいいのかも、きっと理解できていないのよ」
項垂れるジーニアスの肩を、リフィルがそっと抱く。
周辺の村へ挨拶まわりを済ませイセリアに帰ってきた二人は、最後にジーニアスの希望でリリアの家に向かう途中だった。
「ちゃんと説明しなきゃ……」
「そうね……きちんと恨まれしょう。それがあなたのためにも、ポールのためにも……ロイドのためにもなるわ」
リリアの家の前には、そわそわと落ち着かないコレットの姿があった。
彼女は姉弟に気づき、あっと声を上げる。
「先生、ジーニアス!おかえりなさい」
「ただいま、コレット。どうしたの?こんな所で」
「……ロイド、まだやってるのね」
ため息をつくリフィルに、えっと、とコレットは煮え切らない返事をする。
「そうなんですけど、今日は雰囲気が違うというか……ロイド、昔使ってた木刀持って飛び出してっちゃって……心配だから様子を見に来たら、なんだかいつも以上に騒がしくて……」
言われてみれば、窓が閉ざされてるのでよく聴こえないが、なんだか三人で言い合い騒いでいるような声が漏れている。
「コレットの天使聴覚で聴こえないの?」
「それが……『いくわよ』とか『見切った』とか『絶対当てる』とか、なんか戦ってるみたいな声ばっかりで……」
なんだそれは、とジーニアスとリフィルが揃って首を傾げた瞬間、閉ざされた窓に内側から勢いをつけ、べちゃりと鮮やかな赤い液体が散った。
三人はびくりと肩を震わせ、青ざめながらツゥと垂れる赤い液体を見る。
「何事!?」
「も、もしかして……血!?」
「そんな……ロイド……!!」
血相を変え慌てて家へ駆け込んだ三人の目に飛び込んできたのは、トマトに塗れた部屋の中で、トマトに塗れて笑いながらトマトを投げるリリアとポール、そしてトマトに塗れて必死に木刀をスイングするロイドの姿だった。
☆ ☆ ☆
──馬鹿ねロイド、そんなプロポーズじゃ全然ダメよ。そんなんじゃ好きな女の子に振り向いてもらえないんだから。本番は失敗しないようにね──
(好きな女の子……)
「ロイド、だいじょぶ?やっぱり病み上がりなのに無理したから……」
リリアに言われた言葉を考えていただけの沈黙だったが、コレットは体調不良からだと感じてしまったようだ。
「本当にもう平気だって!コレットのおかげだよ。看病してくれてありがとな」
微笑みで返すコレットを見ると、また心臓がどきりと鳴る。
旅立ち前は、いつも星が瞬く夜空の下のベランダだ。
何も変わらないはずなのに、コレットも、自分も、何かが変わったと感じる。
いや、正確には自分だけが変わったのだと思う。
コレットはなんにも変わっておらずただここにいてくれて、自分の目に映る彼女が、変化して見えているだけなのだろう。
「ポールと仲直りできてよかったね」
「……ああ。次にイセリアに戻った時は、ちゃんと剣の稽古つけてやるって約束した。俺の一番弟子だ」
「ふふ。ポール、ロイドに木刀貰って嬉しそうだったね。きっと大事にしてくれるよ」
笑う彼女は、この夜空で一層眩しく輝く星のように見えた。
「これでエクスフィア回収の旅に行けるね。ロイド、クラトスさんと約束したものね」
「……コレット、本当にいいのか?俺について来て」
少し不安げに尋ねると、コレットはきょとんと首を傾げた。
「多分、そう簡単にはいかない旅になると思う。終わりも見えないし、俺たちの世界再生に不満を持ってる人に、悪意を向けられる事だってあると思う。危ない事だってたくさん」
「ロイド」
言葉を遮り、コレットはロイドの左手を取る。月明かりを受け輝くエクスフィアを包み込むようにしてしっかりと握られたそこからは、彼女が生きている証を感じる。
「言ったでしょ?今までもそうだったみたいに、私はロイドの横を一緒に歩きたい。ずっと隣にいたい」
見上げてくる彼女の笑顔はいつも見ているはずなのに、ロイドの心臓を騒がせた。
幼い頃、同じように心臓がどきどきと高鳴った事があるような気がする。
あの時はこのどきどきが何なのか分からなかった。
だから知りたかった。
今なら、分かる気がした。
衝動のままにコレットを抱き寄せると、彼女は耳元で驚いたように小さな悲鳴をあげた。
「ロ、ロイド?どしたの?」
「コレットは『おほしさま』だったんだな」
「おほしさま?」
困惑する彼女の早る鼓動を感じる。同じように、自分の逸る鼓動も伝わっているのだろうか。
「星が欲しかったんだ。いつも変わらない場所にあって、いつもぴかぴか光ってて、いつも眩しい、大好きな『おほしさま』
──コレットが、俺の『おほしさま』なんだ」
少しだけ身体を離すと、コレットは驚いたような表情で顔を真っ赤にし、ロイドを見つめながら声にならない声をひたすらあげていた。
「俺も、ずっと隣にいてほしい。大好きなコレットに」
最大級の笑顔で、思いの丈を伝えた。
拒まれたって絶対離しやしない、と彼女を抱く腕に力を込めると、彼女は嬉しそうにはにかみ、涙混じりの声で「うん」と頷いた。
☆ ☆ ☆
無限とも思える星を泳がせる夜空が近くなる度、胸が高鳴った。
いつか、もっともっと近付いて、もっともっと星の事を知れたらいいなと思った。
「おとうさん、肩車して!」
今はまだ届かない。悔しいけれど、おとうさんに肩車してもらわないとあの星には届かない。
「しっかり掴まるんだぞ」
少し厳しい父親だけれど、その願いだけはいつも笑顔で聞き届けてくれた。
持ち上げられるととても星が近くて、どきどきと胸が高鳴った。
このどきどきが何なのか、今はまだわからない。
だから知りたかった。あの星を。
いつも空にいる、同じ場所にいる、あの眩しい星を。
──いつか、肩車されなくても星に近付けるくらい大人になったら、おとうさんと、おかあさんと、一緒にあのぴかぴか光るおほしさまを取りに行くんだ──
そう言うと父は小さく笑った。
「そうだな、いつか一緒に取りに行こう」
やったぁ、と父の髪に顔を埋める。
優しい太陽のような匂いがした。
「だが」と父は言った。
「星を掴むのはお前だ、ロイド。自分の手で、一番輝く大切な星を掴みなさい」
おとうさんのように、と父は強く優しく言った。
end.
