Chapter Text
「先生!」
授業後の教室から出た途端、背後から呼び止められた。馴染みの声だ。
「ジャック、どうした? 先週のレポートの件か?」
先週に提出されたレポートの着眼点は素晴らしかった。受講生の中でトップと言ってもいい。そんなジャックが話しかけてきたということは、さっきの授業の参考文献に関する質問だろうか?
振り向くと、ジャックは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。授業の話ではなくて、実は……」
するとポケットからスマートフォンを取り出し、画面を俺に向けた。
「……猫の写真?」
首輪はなく、ひどく痩せた猫だ。眼光は鋭く、こちらを睨みつけている。毛並みは汚れていて、どう見ても飼い猫ではない。画面をスライドさせると、別の猫の写真が表示された。その猫の目つきも鋭かった。
「どういうことだ?」と顔を上げると、ジャックは慌てて口を開いた。
「僕のバイト先で保護された野良猫で。あ、バイト先は猫カフェで、保護猫活動もやってるんですが、最近やって来た子たちで」
「なるほど、野良猫だから目つきが険しいのか。……で、それと俺になにか関係が」
責めるつもりはなく、純粋な疑問だった。ジャックは言いにくそうに視線を逸らしていたが、やがて一息に言った。
「実は、預かる猫たちが増えてきて……。もしよろしければ、里親探しに先生にも協力いただけませんか。誰か、猫を飼いたい友人とか、知り合いはいませんか? それか……モルフェウスさんに協力いただくことは可能ですか?」
「……モルフェウスに?」
意外な名前だった。夢の王と猫になんの関係が? 思わず首を傾けると、期待に満ちたまなざしのジャックと目が合った。
「はい。えっと……以前、モルフェウスさんが子猫を拾って、先生を通じて母に引き取ってもらったことありましたよね。それにその後、モルフェウスさんが先生を通じてバイト先に猫を連れてきたことも。だからモルフェウスさんは保護猫活動の人だと思ったのですが」
「ああ、思い出した。数か月前には世話になった」
ジャックの言う通りだった。数か月前にモルフェウスが連れてきた子猫は、いろいろあってジャックの実家とバイト先に貰われた。
その行動力を猫たちに買われて、俺とモルフェウスはその後の数週間を忙しく過ごした。野良猫に挨拶しに路地裏へ赴き、街のあちこちを一緒に巡った。「猫たちへの挨拶」という名目でモルフェウスと一緒に街を歩き回れて、俺としてはラッキーな経験だったが。
でも、ここ数か月は俺もモルフェウスも忙しくて最近会えていない……と思考が他所に飛び、慌てて自分を制した。夢想に耽っている場合ではない。まずはジャックの誤解を解かなければ。
「あー……実はモルフェウスは別にそういう活動をしていなくて……猫に好かれる、いや単なる猫好きだよ」
「えっそうなんですか。すみません。勝手に思い込んじゃって」
ジャックが思い込んだのも無理はない。ジャックは俺の家でモルフェウスから子猫を受け取ったから。確かに、あの猫への接し方を見たら活動家と誤解されるだろう。
モルフェウス自身も頻繁に黒猫の姿を選ぶこと、猫の姿でzoom授業に登場したこと、本業は「夢の王」とは言えない。そして猫はドリーミングで過ごす時間が長いから、モルフェウが慕われていることも、ジャックにも言えない。
当てが外れたジャックを慰めようと、声をかけた。
「まあ。モルフェウスに声はかけてみるよ」
「助かります」
ジャックは再び頭を下げた。そして「あ、話は変わりますが」と、再びポケットから小さな紙を差し出した。渡された紙には可愛らしい猫のイラストと店名が書かれていた。
「バイト先の猫カフェのクーポンです。差し上げます。もし時間があったら、来ていただけると嬉しいです」
「いいのか? 二枚もあるけど」
ジャックは困ったように頭を掻いた。
「僕のバイト先、いい店だと思うんですがお客さんがあまり来なくて……こうやって配って回っているんです。ぜひ、モルフェウスさんといらしてください。あ、里親探しもしているってだけで、普通のカフェと同じですよ。猫を眺めながらお茶するお客さんも大歓迎です!」
「ありがとう。里親の件、他の知り合いにも声をかけてみるよ」
ジャックにはああ言ったが、モルフェウスは猫を引き取れない。だから他の同僚の顔を思い浮かべた。もしくは、New Innに里親募集の貼り紙を貼るのも一つの手だ。一時的なら、俺の家でも預かることはできる。あれこれ考えていると、ふっと笑みが零れた。
「色んな職業をやってきたが、猫の保護は初めてだな……」
ジャックは怪訝そうに眉をひそめた。
「先生、もしかしてご迷惑でしたか?」
「いいや、そんなことはない」
首を振って笑うと、ジャックは安心したように息を吐いた。
「じゃあすみません。僕は次の授業があるので。これで失礼します」
ジャックの背中を見送って、俺も研究室に戻り始めた。歩きながら、600年の人生に想いを馳せた。
猫を保護し、飼い主を探すのを手伝うのなんて簡単だ。かつては奴隷たちを無理やり船に乗せた。あの事業に比べればどれだけマシか。かつての俺は奴隷の売買に何の疑問も持たなかった。奴らは白人以下だ、知能など持たない労働力に過ぎないのは当然だと思い込んでいた。今では、それが大きな間違いだと分かっている。
その代わり、というのはあまりにおこがましいが、ジャックの保護猫活動には手を貸したい自分に気づき、驚いた。自分が少しでもマシな人間になったならいいが。
それに、猫の話にはモルフェウスもきっと興味を覚える。猫カフェなんて、彼は聞いたことも行ったこともないはずだ。一緒に出掛ける口実をくれたジャックに感謝したい。たった二枚のクーポンを無くさないようにしなければ、と身が引き締まる思いだった。
どうやってモルフェウスを猫カフェへ誘おうか考えると、自然と足取りが軽くなった。
