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Characters:
Additional Tags:
Language:
日本語
Stats:
Published:
2026-05-18
Words:
5,972
Chapters:
1/1
Kudos:
8
Hits:
146

The Champion

Summary:

「結婚式行けなくてごめんね。俺ら忙しくてさー。」
俺ら、に必要以上のアクセントをつけたスズキの目が、白々しく上がった口角の上で二人を睨みつけている。その隣でリアナのかつてのパートナーは、連れの不遜な態度に半ば呆れた様子で、目頭を押さえて微かに天を仰いだ。——彼女の記憶に残る彼は、こんな風に感情の機微を態度に出す男ではなかった筈なのに。
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映画後、正式に杉木の恋人となった鈴木が、リアナとジュリアを挑発するお話です。

Notes:

リアナ視点のお話です。
鈴木に今一度、今度は杉木の正式な恋人として、ジュリオを挑発してもらいました。

映画ではあまり詳しく描写されていないリアナとジュリオのキャラクターは、原作をベースにしつつ映画のトーンに落とし込んでいます。

イタリア料理及び飲食店事情は、ググった程度の付け焼き刃です。おかしなところがあればご容赦ください。

Pixivにも掲載しています。

Work Text:

 最初に気付いたのはジュリオだった。

 生ハムの前菜と地産ワインの気軽な組み合わせに、張り詰めていた気分は解れ、とりとめもない会話が弾む夜のひととき、ふつりと彼の意識が自分から離れた。リアナは自らの肩越しに彼の視線の先にあるものを確かめようとするも、背後にはただ表通りに面した窓ガラスがあるばかりで、室内より暗い外の様子は何もわからない。リアナが夫に向き直ったのと、彼の背後に立つ金髪の男の視線がリアナを捉えたのは同時だった。

 ジュリオの目が揺らぐ。彼は窓ガラスに反射した店の入口に、彼らの姿を見つけたのだ。

「どーもこんばんは。」

 金髪の男——シンヤ スズキの呼び声に、漸く鉢合わせに気付いた彼の隣に立つ男、かつてリアナのパートナーであったシンヤ——シンヤ スギキは、僅かに目を見開いた。

 四人の中の誰より先にこの鉢合わせに気付いていながら、今はじめて彼らの存在を認識したような素振りで、ジュリオは僅かに肩を強張らせてゆっくりと後ろを振り向く。

「……ボナセーラ、シンヤ。」

 ここがイタリアである事を幸いに、母国語で動揺を押し隠しながら、彼はどちらのシンヤに対するものか曖昧な挨拶をした。

「奇遇だね。あ、結婚おめでとー。」

 レザージャケットのポケットに手を突っ込んだまま二人を見下ろすスズキの言葉には、あからさまな棘があった。リアナとジュリオが結婚式を挙げたのは、半年も前の事だ。

「……優勝おめでとう。リアナ、ジュリオ。」

 スズキがあえて口にしなかった社交辞令をシンヤが補う。

 イタリアのチェルヴィアで開催されたオープン戦が終わり、ボールルーム部門は下馬評通りにリアナとジュリオが優勝し、シンヤとフサコは今回も二位に終えた。その結果に全く納得がいかない様子のスズキはといえば、今大会の番狂せの張本人で、彼とパートナーのアキ タジマは、ラテン部門で下馬評を覆し、世界王者ベーメル組に次ぐ二位につけた。

「ありがとう、シンヤ……もう一人のシンヤも。」

 もう一人のシンヤに対する態度を測りかねるようにジュリオは言った。紳士然とした態度を決して崩さないシンヤ一人相手であれば、ジュリオは彼の内側に燻る闘争心を煽るために、わざと健闘を讃える言葉の一つや二つもかけたであろう。しかし今大会で一際輝かしい成績をを挙げておきながら、不機嫌な態度を隠そうともせず、あからさまにリアナとジュリオに敵意を向けているもう一人のシンヤは、売られた喧嘩を買うのを躊躇う男ではないだろう。

「結婚式行けなくてごめんね。俺ら忙しくてさー。」

 俺ら、に必要以上のアクセントをつけたスズキの目が、白々しく上がった口角の上で二人を睨みつけている。その隣でリアナのかつてのパートナーは、連れの不遜な態度に半ば呆れた様子で、目頭を押さえて微かに天を仰いだ。——彼女の記憶に残る彼は、こんな風に感情の機微を態度に出す男ではなかった筈なのに。

「大丈夫、気にしないでくれ。」

 ジュリオが控えめに受け応える。

「シニョールスギキ、お席にご案内します。」

 折良く、ホールで忙しく立ち働く給仕が、シンヤに声をかけた。彼は軽く礼を言うと、やれやれといった表情で、スズキの腕を引いた。

「失礼、邪魔をしましたね。行きますよ。」

 随分と他人行儀になったかつての恋人に、リアナも同じ温度で社交辞令を交わす。

「楽しいディナーを。」

「あんた達もね。」

 スズキは些か大袈裟なウインクと共にひとまずは引き下がったものの、席数も限らた賑わう店内で、彼らはあろうことか隣のテーブルに通された。

「……ナニヲタベマショウカ。」

 気まずさを断ち切るように、メニューを開いたシンヤが日本語に切り替えて見えない壁を築く。リアナもイタリア語に切り替えて、萎縮する夫の注意を引いた。

 大会の会場からも近い家族経営の小さなトラットリアは、イタリア人のジュリオも満足の味で、気兼ねのないデートには申し分ないが、リアナの知るシンヤであれば、大会後のディナーデートにはもっと格式の高いリストランテのコース料理を選んだ筈だ。少なくともリアナとの時はそうだった。まさか鉢合わせるとは予想だにしなかった様子の彼もまた、恐らくはリアナに対して同様に思ってるのだろう。

 ジュリオの次のワインを運んできた給仕が、その足で隣のテーブルの注文をとる。シンヤがおよそ彼らしくもない気ままなアッラカルタで、一通り料理の注文を終えようとした時、スズキが口を挟んだ。

「ねえ、隣のあのハムは何?」

 リアナ達のテーブルを指差す彼を嗜めるように、シンヤが日本語で何か短い言葉を発する。

「プロシュットディパルマ、地元産のハムです。おすすめですよ。」

 シェフとよく似た風貌の、恐らく母親であろう気の良さそうな給仕が、イタリア訛りの強い英語で朗らかに答えた。

「へぇ、ねえ、それ美味い?」

 わざとこちらに話を振るスズキに当惑するジュリオに代わって、リアナが笑顔を貼り付けて答える。

「……ええ、ランブルスコセッコと良く合うわ。」

「ランブロセッコって何?」

 スズキは口を引き結んで静かに彼を牽制するシンヤを、あえて巻き込むように訊ねた。

「……ここ、エミリア・ロマーニャ州で造られる赤のスパークリングワインです。すっきりした飲み口で、あなたはお好きだと思いますよ。」

「へぇ、じゃあそれちょうだい。」

「……僕にも同じものをお願いします。」

「あとハムもね。」

 程なくして彼らのワインが運ばれてくると、挑発的な笑顔を浮かべたままのスズキが杯を掲げた。

「サルーテ。」

 一瞬の沈黙の後、各々が控えめに杯を掲げる。ロシア式に右手の薬指につけたリアナのウェディングリングが、シンヤのグラス越しに赤い光を反射し、ジュリオの頬を照らした。

 結婚式にシンヤを招待したがったのはジュリオだった。悪趣味極まりない事は承知の上で、リアナはそれに異を唱えなかった。ジュリオにとってシンヤを招待する意味の大きさを、彼女は理解していたから。彼の思い描く人生の晴れ舞台には、奪われた元恋人の結婚を祝福するため、一分の隙もない作法を鎧のように纏い、完璧なゲストを演じるシンヤの存在が不可欠だった。そうして不躾な招待状を受け取ったシンヤが、招待に応じない可能性よりも、応じる可能性の方が高いとさえ見込んでいた。——彼らの誤算は、シンヤが同伴するのは彼のダンスパートナーであるフサコだろうと、当然のように思い込んでいた事だった。リアナと破局して以来、特定の恋人はいない筈のシンヤの同伴相手は、フサコでしかありえない筈だった。

 プリモピアットのパスタがリアナとジュリオのテーブルに運ばれると同時に、隣のテーブルにはプロシュットディパルマとチーズが並んだ。アッラカルタの皿をシェアする形でも、二人の食事の仕方は対照的で、自分の皿に適量を取り分けて、ナイフとフォークで少しずつ口に運ぶシンヤに対し、スズキは片肘をテーブルにつきながら、直接皿に伸ばしたフォークで、ハムとチーズを纏めて刺して口に放り込んでいる。

「うまいね、ハム。」

 ——シンヤ スズキ、一年と少し前まで、存在も知らなかった男。彼自身が初めて参加する国際大会で、チャンピオンのジュリオに向かって、俺の顔を覚えておけと尊大な自己紹介をしたその顔がジュリオの脳裏に刻まれたのは、二人が結婚式の招待状を送り終えた数日後の事だった。

 アジアカップの大会会場で、シンヤがスズキとデモンストレーションダンスを披露し、キスを交わす動画がダンス界を駆け巡った。最初は何かの冗談だろうと思った。例え競技外のデモンストレーションであろうと、公式の国際大会でリーダー同士のダンスなど聞いた事がなかったし、何よりもシンヤという男は、そんな突飛な事をする人間ではありえなかった。画面の中でスズキと手を取り合って踊る男の溢れんばかりの笑顔も、喜びに満ちたステップも、まるで同じ姿形をした別人のようなのに、リアナの身体にも未だ深く刻まれているそのワルツの特徴的なホールドは、確かに彼のものだった。

 その数週間後に、シンヤからの結婚式不参加の電子招待状の返答が、静かに定型文で届いた。併せて形式的にエアメールで日本に送った紙の招待状は、隣でハムをつついているラテン男に破り捨てられたに違いない。

 シンヤに新たな恋人が現れ、ゲイではなかった筈の彼の相手が、男性のラテンダンサーである事に狼狽えたのは、彼の元恋人であるリアナよりもむしろジュリオの方だった。

 ボールルームの現世界チャンピオン、ジュリオ モレッティの原動力は、今も昔も常にシンヤ スギキだった。ジュリオが前のパートナーと共に、はじめて世界選手権でシンヤとリアナの次点につけた時、シンヤにとってのジュリオは、当時の世界チャンピオン同様、競うべき順位に付帯する名前に過ぎなかったのに対し、ジュリオにとっては、とうとうシンヤに追いついた事実が、順位以上の意味を持っていた。それはシンヤの視線を自らに向けるために、そこまで共にのし上がったパートナーを捨ててまで、リアナにペアを持ちかける程の強烈な執念だった。

 彼の技術はシンヤと順位を並べ得る程には確かで、人脈はシンヤのそれより確かで、リアナがシンヤとペアを解消して彼と組めば、世界チャンピオンの座は確実だった。ジュリオだって馬鹿ではない、卑怯と後ろ指刺される事など承知の筈だった。シンヤを裏切ってまで、ジュリオの何にそうも惹かれたのかと、未だにリアナは人から陰口を叩かれ続けているが、強いて言うならば彼のその、卑怯にさえなれる執念をこそ彼女は愛していた。

 硬い表情で、黙々とセコンドピアットのヴァリジーニを口に運ぶ夫の隣で、澄ました顔をした元恋人が、パスタを運んできた給仕に礼を言う。

 相変わらず、ファッション誌の表紙を飾ってもおかしくはない整った風貌に、気品に満ちた振る舞い、どの角度から眺めても完璧な男——。終わり方がきれいだったとは言えないが、当時のリアナは確かに彼を愛していたし、彼だってリアナを愛していただろう。彼らの五年間は決して嘘でも偽りでもなく、二人はチャンピオンという高みを共に追い求める同士であり、その志は二人の絆そのものである筈だった。

 しかし果たしてジュリオがシンヤに固執する程に、リアナとシンヤは互いに固執していただろうか。ジュリオからの持ち掛けで、シンヤとチャンピオンの座をはじめて切り離して天秤にかけた時、自分の中でチャンピオンの座が僅かに傾いた事に、戸惑いはしなかった。ブラックプールの曇り空のような薄暗い罪悪感と共に、シンヤだって同じ選択を迫られれば、自分よりもチャンピオンの座を選び取るだろうという、冷たい確信があった。

 シンヤがどこまでも完璧な恋人であったのに対し、ジュリオはどこまでも完璧にはなれない恋人だった。自分がいなければシンヤの視線さえ引き止められず、なりふり構わず卑怯にもなれて、格好のつかない必死な姿を晒せる、不完全で愛おしいこの男なら、リアナはシンヤを裏切って掠め取るチャンピオンの称号と共に愛してゆける。歪んだ理屈と蔑まれようとも、それがリアナにとっての真実であり、選び取った道だった。

 リアナと別れた後暫くは、新たなパートナー探しに難航して不安定な時期が続いたシンヤは、やがてフサコとペアを組むと、その確かな実力で強かに勝ち上がって来たが、リアナとジュリオの順位を覆す事は今もって出来ずにいる。負けるたびに、冷たい笑顔を貼り付けて何度でも挑んでくる。そうして彼が挑み続けてくる限り、ジュリオはチャンピオンという重たい名を背負って踊り続けられる——筈だった。今大会のシンヤのダンスを見るまでは。

 片肘をテーブルについたままで、スズキはトルテッリーニを幾つかまとめて自分の口に放り込み咀嚼しながら、もう一つフォークに刺してシンヤの口元に差し出す。シンヤは手を止めて、静かに彼と視線を合わせた。

「食えよ、イタリア餃子。うまいよ。」

 リアナとジュリオの手前、わざとやっているに違いないこれ見よがしの恋人仕草は、結婚式の招待状への意趣返しのつもりなのだろう。口を閉じたまま、シンヤは片眉を上げて見せる。本来の彼なら、このような見え透いたはしたない真似は好まない筈だ。しかしシンヤはその冷たく整った面差を、観念したように僅かに綻ばせると、スズキのフォークの先からトルテッリーニを咥え取った。

「美味しいです。——満足ですか?」

「あんたのその餡かけうどんみたいなやつも食わしてよ。」

「タリアテッレのラグーソースです。」

 シンヤは無遠慮に伸びてきたスズキのフォークが彼の皿に到達するのを阻止すると、自分のパスタを一口だけスズキの皿の脇に取り分けた。

 自分にも相手にも常に完璧を求めて譲らなかった男が、随分と丸くなったものだ。そもそもこの店の選択からして、リストランテの堅苦しさはまるで性に合いそうもないスズキを慮っての事だろう。

 リアナはグラスに僅かに残ったワインを飲み干すと、空になったセコンドピアットの皿を下げに来た給仕を呼び止めた。

「ドルチェはキャンセルさせて頂くわ。」

 ようやく顔を上げたジュリオと、視線が合う。

「少し疲れたの。ホテルに戻って休みましょう。」

 彼はほっとした表情を覗かせた。スズキの見え透いた挑発は、シンヤでさえ半ば呆れるほどに単純で稚拙だが、今のジュリオには耐え難く、どのみちドルチェなど喉も通らないだろう。

 会計を済ませて席を立つ彼らに、スズキは性懲りも無く「チャオ。」と言って手を振った。どこまでも不遜な恋人の態度に、困ったような笑みを僅かに浮かべながら小さく首を傾げるシンヤは、店を後にするこちらの方を見向きもしなかった。

 ホテルまでの道を、静かに並んで歩く。

 例のアジアカップの動画を見れば、シンヤが本格的なラテンのレッスンを受けている事は明白で、近く彼はテンダンスにエントリーするつもりではないかとの噂が囁かれている。だからといって、ボールルームのチャンピオンを諦めた訳でもないだろう。今大会にシンヤがエントリーすると知って以来、ジュリオはずっと落ち着かなかった。不安交じりで待ち焦がれた大会当日、一曲目からまざまざと突きつけられた違和感が、彼を打ちのめした。

 いつも通りのシンヤの完璧なフォーム、その正確無比のステップはしかし、これまでの彼には見られなかった情感に満ちていて、観客を大いに沸かせた。それなのに、いつだって同じフロアで鎬を削るリアナとジュリオに向けられていた、痛い程の彼の闘争心は形をひそめ、そのステップに込められた彼の思いの全ては、観客席から彼を見守るただ一人に捧げられていた。

 相手にされていないという虚しさ。繋いだ手からジュリオの絶望がリアナの中に流れ込んできた。流石にそれを傍目に見せないだけの技術が彼には備わっていたが、身体に染み込んだステップを正確に刻みながら、ジュリオは打ちひしがれていた。負けを悟っていた。それでもアナウンスされたシンヤの順位は相変わらずの二位だった。ジュリオにとって、今大会ほど不毛な勝利はなかっただろう。

「ジュリオ。」

 リアナは立ち止まり、夫の名を呼んだ。

 シンヤのチャンピオンの座への、即ちその座に付帯する名前であるジュリオとリアナへの仮初の執着が消え去る事、それは誰よりもジュリオにとって耐え難い事だ。ジュリオの中に渦巻く、羨望と嫉妬が入り乱れて捻じ曲がり、そして今その居場所さえ失いつつある執念は、スズキが抱く単純でいっそ可愛らしい嫉妬心の比ではない。

 あなたが彼に焦がれる程に——と言いかけて、リアナは飲み込んだ。

「私があなたを愛する程に、シンヤはあなたを憎みはしないわ。」

 愛情と憎悪は執着の裏表。しかし無関心はその対極にあって、交わる事はない残酷な事実。

「忘れないで、それでも私たちは、チャンピオンだという事を。」

 崩れ落ちそうな彼の頬を両手で包んで、口付けた。自ら選んだこの茨の道に、彼を繋ぎ止める事ができると信じて。