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Archive Warning:
Category:
Fandom:
Relationship:
Characters:
Language:
日本語
Stats:
Published:
2022-07-16
Words:
5,713
Chapters:
1/1
Kudos:
3
Hits:
101

月光は、最も明るい星以外の全てをかき消す。 / Moonlight drowns out all but the brightest stars.

Summary:

10話の後、スティードが帰ってきてからの話です。

By the way, "The moon is beautiful" means "I love you" in Japanese. But that has nothing to do with this story. ;)

Work Text:

月光は、最も明るい星以外の全てをかき消す。

 

 

 「月が綺麗だね」
私の横から響く、柔らかい声。見ると、スティードはブロンドの髪を潮風に揺らめかせて空を見上げていた。
 今日は波も穏やかだ。三日月はナイフで入念に切り取ったような細い弧を描いている。何度満ち欠けを繰り返しても、あの美しい形に戻ってくるのは不思議だ。
「そうか?私はあんまり好きじゃない」
深夜、リベンジ号の二人の船長はマストの上の見張り台に登って少し近くから空を眺めていた。スティードは私の言葉に興味深そうに首を傾げる。
 「どうして?」
「暦を確かめるのには必要だが、方角を測る時は月は何の役にも立たない。それどころか、北極星の光を遮って邪魔な時さえある」
夜も深まり、三日月は空の中心の高い高いところに位置している。キィンと冷やし固められた氷のような肌色だ。触ったら冷たいのだろうか。
 「ふぅん、でも私は月も好きだよ。遠い所からいつも見守ってもらえているようで、見ていると気持ちが安らぐ気がするんだ」
彼は曇りのない眼差しを空の向こうに真っ直ぐ向ける。その瞳に柔らかな月灯りが反射して、真っ暗な見張り台でほのかに二つ光っていた。
 この月なら一生眺めていられるな。私はぼんやりとそう思った。
「…お前って、月みたいだな」
不意にそんな言葉が口から出た。何故かは自分でも分からない。  
 スティードは一瞬キョトンと目を丸くしたが、すぐ困ったように破顔した。
「何?私は役に立たないってこと?それとも、太陽より貧相だとか?」
スティードは船員たちを起こさないように声を潜めながら、この場合誰が太陽になるのかな、なんて笑う。どうやら何か勘違いさせてしまったらしい。私は慌てて首を横に振って、彼の肩をガシッと勢いよく掴んだ。
 「ち、違う!その…すごく綺麗って、意味だ」
あぁ、俺は一体何を言ってるんだ?
全部自分で言っておきながら、今叫んだ言葉が頭に全く入ってこない。混乱と恥ずかしさが同時に込み上げてくる。きっと顔だって真っ赤になっているに違いない。その証拠に、スティードの頬もみるみるリンゴ色に染まっていくのがよく見える。
 「……ありがとう」
そう言って照れ臭そうに微笑んだ彼は、今まで人生で見たどんな景色より美しかった。きっと、空に浮かぶあの月よりも。

 

 そんな、馬鹿げた日々のことを思い出していた。
 月が日に日に姿を変えていくように、永遠に形を保つものなど何一つない。あの日からしばらくして、私はそれを嫌ほど思い知らされた。スティードは私にほんの少しだけ幸福な時間を与え、そして去った。
『私のどこがいけなかった?私は何をすべきだった?私は何を間違えた?』
 どの海に向かって叫んでも、あらゆる町で尋ね回っても、誰もそれには答えてくれない。そんな答えの出ない問いを全てアルコールで黒いレザーの奥に流し込み、私は再び最強の海賊として次の道を歩み始めた。…はずだった。

 今目の前に、そんな幾千もの問いをぶつけたかった男が立っている。後ろには大きな大きな丸い月を背負いながら。
「エド、やっと会えたね」
今宵の満月はひどく眩しい。スティードの姿が逆光で真っ暗に見えなくなってしまうほどに。何度も炭まみれの瞼を擦り、目を見張った。
 “月光は、最も明るい星以外の全てをかき消す。"
 確かそんな言葉をどこかで聞いたことがある。
今日の月は、コンパスで描いたように丸く大きい。海面には水平線の向こうまで月明かりの一本道が作られている。普段はその周りを彩る無数の他の星々も、今夜はそのたった一つの星に負けて姿を消していた。
「スティード?なんで…」
「あの時は、本当にごめんね」
そう言ってスティードは優しく両腕を広げる。吸い込まれるようにふらりと、体が彼の方へ倒れかかろうとした。しかし寸前のところで我に返り、私はサッと彼から身を引いた。腰に付けた拳銃やナイフがぶつかり合って、がちゃがちゃと音を立てる。
 その反応にスティードは、少なからずショックを受けたらしかった。彼は広げた手を腰の横に下ろし、自嘲気味に笑った。
「…大丈夫、簡単に許してくれるなんて思ってない」
「違う。許してないわけじゃない」
 スティードが俯いてそう言うのを、思わず大きな声で遮る。喉から絞り出た声は、自分でも驚くほど悲痛だった。
 黒ひげに戻ってからの長く短い時間で、私はスティードがいかに自分を変えてしまったかに気付かされた。彼の強烈な光は、私の“黒ひげ”という皮をいとも簡単に透かして、その奥にいる弱くて臆病な私を照らし出してしまう。
 私は微かにわななく唇を動かした。
「…ただ、お前の横には居られない」
彼がどんな顔をするかは、見ないようにした。私はスティードとその後ろに輝く満月から顔を背けて、その場を去った。

 

 スティードが船に戻ってきて数日。彼が共に連れ帰った船員たちも合わさって、リベンジ号はすっかりかつての牧歌的な雰囲気を取り戻していた。
 今日は近くの島に帰港しての買い出しの日だ。甘い空気を隠さなくなったジムとオルワンデ。どうやら生きていたらしいルシアス。いつの間にかあちら側に馴染んだファングとアイバン。そして、町のあちこちをちょこまかと渡り歩くスティード。どうやらオレンジ売りの行商と細かな金の計算をしているようだ。
 スティードのいきさつはオルワンデから聞いた。陸に置いてきた家族に会いに行ったところ、未亡人になった妻は案外人生を謳歌していたため、自分も死んだことにしてもう一回海に戻ってきたと。でも、だからと言って何になるのだろう。うまく言えないが何故か彼に近寄りがたくて、私はずっとスティードとの会話を避けていた。
 桟橋のそばのボロ小屋の壁にもたれかかり、海賊と商人で賑わう町を遠巻きに眺める。顔に塗っていた炭はいつの間にか無くしてしまった。ヒゲも失い、ただ涼しくなった顎を海風がサラサラと撫でていく。
 「ボス、なんでアイツを船に戻したりなんかしたんです」
不貞腐れた顔のイジーがそう文句をこぼしながら、腕組みして隣に並び立った。別に止めてはいないが、この男も船員たちの輪には入っていこうとしない。
「あれは本来スティードの船だ。元の持ち主が帰ってきただけだろ」
「はぁ…アイツといるとろくなことにならないって、よく分かっているでしょう」
私のやる気のない嘘に、イジーは神経質そうに杖をトントンと小刻みに突いた。しつこく叩かれた彼の足元の砂がじりじりと窪みを開けていく。スティードへの恨みを隠そうともしていない様子だ。
「きっとそもそも馬が合わなかったんですよ。アイツは貴方と生まれも育ちも違う」
 イジーが忌々しげにそう吐き捨てる。その鼻の詰まったような乾いた声に、ふとかつての母親の言葉がリフレインした。
“私たちとは身分が違うの。これまでも、これからも”
幼い頃から母に何度も言い聞かされた、貴族と庶民の絶対的な身分の差。私の家庭では一生かかっても手が届かないような、シリウスのように輝く宝石を、いくつも身に纏う貴族の話。
「…あぁ、分かってる。私とスティードは相応しくない」
半ば自分に言い聞かせるようにそう言った。しかし、なぜか胸が細いロープで幾重にも締められるようにひどく切なくなる。イジーは私を見上げると、満足そうに不敵な笑みを浮かべて去っていった。
 その時、人混みにまぎれて、偶然顔を上げたスティードと目が合った。彼は小さく手を挙げると、少し気まずそうに笑った。思わず手を振り返しそうになったが、ハッと意識的に顔を背けた。スティードは行き場のなくなった視線を曖昧に落としたが、数秒後にはすぐまたいつもの船長に戻った。
「…おっとルシアス、この在庫を記録してくれ。“羊肉の塩漬けを保存するには暗所が良い”にアンダーラインを引いて!」
船員たちにあれこれ指示を与えるスティードの様子は、初めて会った頃と比べたら海賊らしくなった。しかし、それでもどの仕草一つとっても育ちの良さが透けて見える。身なりも海賊の小汚いシャツではなく、ワードローブに仕舞い込まれていた高級なウエストコートの方がよっぽど似合っていた。
 心根にぐるぐると重い泥が溜まっていく。私は活気溢れる港町に踵を返すと、重たいレザーのブーツを引きずって船に戻った。

 

 それからしばらく月日が経ったある日。
 私は甲板に出て、静かな夜の海を見つめていた。黒いベルベッドのようなさざ波は、闇に紛れるまでどこまでも広がっていく。頭上にあるはずの月は重たげな雲に覆われて空に現れようとしない。
 決行するなら、こんな日が良いと思っていた。月も星も姿を隠した、怖いくらいの暗闇に閉ざされた夜の海。船員たちも皆寝静まって、物音に気づく気配もない。私にとっては実に良い日だ。
 甲板の手すりを撫で、ひんやりした夜の空気に髪がなびくのを感じた時。
「エド?」
 懐かしい声と共に、背後から甲板が軋む音がした。
 「…起きてたのか、スティード」
振り返ると、今まさに自分が思い浮かべていた人物がいた。…いや、彼のことを思っていない時など、片時もなかったかもしれない。スティードはこちらに歩み寄ろうとしたが、私がやんわりと後ろにずり下がったのを見て、ぎこちなく伸ばしかけた右足を引っ込めた。
「君も、眠れないの?」
私が手すりに腰掛けるのに合わせて、スティードもそこに控えめに肘をついた。二人の間の距離は昔より遠くなっただろうか。以前はそんなの気にしたこともなかったから、分からない。
「…まぁな。そんな日はこうして、空を眺めることもある」
「何も見えないけれど」
「それが良いんだ」
 空は完全に雲に覆われ、どこが海と空の境界線なのか分からない。目を閉じると、絶えず流れる静かな波のメロディだけが語りかけてくる。その穏やかなリズムが呼吸と合わさるのを待って、ゆっくり口を開いた。
 「…お前がいなくなってから、色々なことを考えた」
「…私のこと、きっと許していないよね」
右隣のスティードの頭が、ほんの少し俯くのが分かった。彼が今どんな顔をしているかは見なくても想像できる。私は肺にいっぱい空気を溜めて、微かに震えるその息を吐き出した。
「そんなことない。君は私に本当に様々な体験をさせてくれた。たくさん楽しいことを教えてくれた。…私には十分すぎるくらい」
 私と彼はずっと、ずっと遠く離れた人間だったのに、どうしてそれに気づかなかったのだろう。暗い世界を照らす者からすれば、私は闇に溶け込む砂の一粒にも満たない。
「だから、もう私のことなんか忘れてくれ、スティード」
 そして、全てを許せるくらいの笑顔でスティードにそう言った。…あぁ、そういえば久々に心から笑ったな。
 大きく空を頭を仰ぎ見るようにぐんと後ろに体重をかけると、体がふわりと浮いた。次の瞬間、逆さになった空がそのまま上から下へ流れ落ち、激しい音と共に全身が強烈な冷たさに包まれる。
「ーー!?ーー!!」
遠くから、人が死ぬのでも見たような絶叫が聞こえる。頭上の海面は激しく乱れながら、その向こうに白い大きな光を映した。そしてその光が丸い形に落ち着く前に、もう一つ大きな影が目の前に飛び込んできた。
 彼は口から無数の泡を吐き出しながら、何かを叫んでいる。それらは一つ残らず天を目指して、真っ直ぐ空へと昇っていく。
 …綺麗だな。
 無意識にそこに伸ばした手は、次の瞬間驚くほど強い力で引っ張り上げられた。
「ッはぁ!」
 再び肺に息が入ってきた時、目の前には頭からびしょびしょに濡れたスティードがいた。しばらく彼はただ呆然と私を見つめていたが、数秒後自分が泳げないことを思い出したらしく、慌てて両手足をバタバタさせて私にしがみついた。
 「…なんで」
自分が今海上にいて、再び呼吸ができていることが一瞬理解できなかった。スティードは喉に入った海水に何度か咳き込みながら、割れんばかりの声で叫ぶ。
「ゴホッゴホッ、それは、こっちのセリフだよ!なんで死ぬような真似…!」
 顔が何度も水に浸かりかける危なっかしいスティードに、私はひとまず彼の足を支えて共に船の上へ引き上がった。縄橋子に体重をかけている時でさえ彼は私の腕を離そうとせず、必死なくらいの握力で掴み続けていた。
 甲板に登って見てみると、私たちは打ち上げられた魚のようにお互いぐしょぐしょになっている。スティードの髪に海藻がべっとりとへばりついていて、思わず吹き出してしまった。
「はは、…作戦失敗だな」   
 パンツまで濡れた体を乾かすように、水を吸った重たいレザーごと甲板にゴロンと寝転がって呟いた。スティードも慎重に頭を床につけると、二人で空を見上げる。いつの間にかあんなに分厚かった雲の隙間から、大きな月が顔を覗かせていた。眩しくも優しい月光が、私とスティードを頭から爪先までよく照らす。
「どうして?私はそんなこと望んでないよ…」
スティードはまぁまぁ怒っているらしく、首を捻っていつになく冷たい視線をじっとこちらに寄越す。だがそのブロンドから濡れた葉っぱを取ってやると、彼の険しい表情は少し緩んだ。
 どうして。そう問われるとうまく答えられない。これまで積もってきた様々な感情が頭の中でぐるぐると巡ったが、一つ思い出したのはあの夜のことだった。
 「前に、君のことをあの月みたいだって言ったこと覚えてるか」
「…あったね、そんなことも」
二人だけの、懐かしい記憶。私が思い浮かべているのと同じ景色を想像したスティードは、その照れ臭い思い出に少し困ったように笑った。自分でもうまく整理できないけれど、一言で表すとこうなる。
 「それなら人間は、月に手を伸ばすべきじゃないだろ?」
スティードのアーモンドの瞳孔が一瞬小さくなった。しかし、私の言葉を咀嚼していくとじわじわとその瞼を緩やかに細める。
 「ねぇ、エド。私はスティード・ボネットだ。君にひどいこともたくさんした、ただの男だよ」
スティードの言葉は優しいながらもとても真剣で…何か魔法を解くような響きがあった。そして、彼は何かすごく大事なもののように私の手にそっと触れた。彼の柔らかい体温がそこから伝わって、かじかんだ指がじんわりと温められていく。目の奥の方が内側から熱くなってきて、声を震わせて叫ぶ。
 「そんなことない!お前は本当に綺麗で、すごく輝いていて…」
涙も抑えつけていた感情も、一度決壊すると止まらなかった。最後の方は裏返ってしまった声を誤魔化すように、スティードの胸ぐらをぎゅうっと掴んで顔を寄せる。
「君だってただのエドワード・ティーチだ。でしょ?」
 スティードは私のぐしょ濡れの髪を撫で梳かしながら、優しく私の名前を呼ぶ。黒ひげなんてダサい通り名よりずっと優しくて、安心できて、心が温まるのは何故だろう。
「でも私もね、君のことがすごく美しく輝いて見えるんだ。…これって、愛って言うんじゃないのかな」
顔を上げると空を満月の光が照らしており、眩しさに思わず瞳を閉じる。でも目尻のあたりを指で撫でられる感触がして恐る恐る薄目を開くと、そこにはただスティードが笑っていた。
 「…間違いない。絶対そうだ」
 自分に言い聞かせるようにそう繰り返すと、スティードの背中に堅く腕を回した。私の心臓がドクドクと速く、熱く脈打っているのが服越しにでもバレてしまいそうなくらいに。
「エド、君を愛してるよ。君も私を愛してくれる?」
 あぁクソ。そんなの、答えは一つしかない。 
 月は形を変えるが、いつか必ず元の形に戻ってくる。私たちもそうやって、何度でも巡り合う運命だ。