Work Text:
ギターを抱えて歌いながら後ろを振り返った彼と目が合い、その頬にえくぼが浮かんだ時、パットはインクに告白しよう、しなければ、と決意した。
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「パーット、おまえ焦り過ぎなんだよ。ちょっとモテるからって調子乗ってるからだぞ。」
数ヶ月前にインクが転校してきて以来、ずっと口説き続けていたパットが彼女に当たって砕けたクリスマスコンサートの日の帰り道、バンドメンバーでもある友人達が慰みに買ってくれたアイスティーは揶揄の免罪符だ。失恋したパットが皆にこうして揶揄われるのは今日に始まった事ではなく、パットは別段それで傷つきはしないし、何なら揶揄ってくれた方が気が楽であった。パットにとって失恋は人が言うほど恐ろしい物ではない。恋が破れたら潔く友達に戻るまでの事である。
「いずれにしても答えはノーって言われたよ。だから早くわかってよかったんだと思うさ。」
「っかー、手厳しいね。でもだったら、三組のマナウどうよ?背高めのボブの子。あいつおまえの事好きって噂あるぜ?」
噂好きのトップが早くも次の恋を斡旋する。
「バカちげぇよ、マナウが好きなのはパーンだよ。いつもこいつらが一緒に居るからって、そこ混同すんなよ。」
些細な事でもよく覚えているフィアットがそう訂正すると、三人の視線が最後尾でアイスティーを啜りながら黙って歩いていたパーンに注がれる。
「案外モテんだよなおまえ。おまえみたいに澄ましてて何考えてんのかいまいちわかんねーやつ、女子って何故か好きだよな。で、マナウどうだよ?……てか今更だけどおまえって好きな子とかいんの?」
確かに実際のところそこそこモテるパーンのその手の話は、これまで誰も聞いた事がなかった。恋人が居た事もないはずだ。もしいたなら、幼馴染みで親友で、物心つく前から一番近くで彼をみてきたパットが気付かないはずはない。
「俺に話を振るなよ。振られたパットの話してんだろ。」
「それだよ。いつもそうやってはぐらかす。いるのか?いないのか?」
「関係ないだろ。」
「いるんだな?はぐらかすってことはいるんだな?誰だ!?吐け!」
「うっざ!おまえらうっざ!」
トップとフィアットに、戯れにヘッドロックをかけられてむずかるパーンを、いつもならば一緒になって揶揄うパットは、傷心という大義名分を着て静かに見ていた。
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「片思いしたことあるか?」
いつも当たり前のように隣に居たパットの幼馴染みが、ある日唐突に彼にそう聞いた。
「……何だよいきなり?」
一番の親友なのに、パットの恋の事はなんでも包み隠さず話して来た相手なのに、彼からパットにこの手の話題を振って来たのはその時がはじめてで、パットは説明のつかない動揺を覚えた。
「……笑うなよ?今度のクリスマスコンサートでさ、もしできたら自分で曲を作って演奏したくて、歌詞を考えてるんだけど——。」
「笑わねぇよ。え、すげぇじゃん聞かせろよ!」
なんだ、そういうことかと安心して、なぜ安心するのかもよくわからないまま、パットは少し大げさに反応をした。
「だから今から作るんだって!……で、まぁ、そういう、友達に片思いしてる感じの歌詞を思いついて……おまえは割と好きになった相手とすぐに付き合えてる感じだけど、振られる事もあるし、どうなのかなって。」
曲のためだと彼は言った。それが果たして彼自身の事なのか、ただの曲のためのフィクションで、自分ではその感覚がわからないからパットに聞いたのか、パットにははっきりとわからないまま、しかしフィクションにしてはいやに具体的な歌詞をたたえた曲は完成し、彼は見事にその虚実不明の片思いを観衆の前で歌い上げた。彼の後ろでドラムセットを叩いてビートを刻むパットを、時折振り返りながら——。
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いつもの習慣でパーンの家に二人で一緒に帰る。
宿題をしたりゲームをしたり漫画を読んだり、そのまま夕飯を一緒に食べたり、食べなかったり、学校が終ってからの数時間を、パットは毎日大抵わけもなくパーンの部屋で過ごす。今日もパーンの母のディサヤーが、二階に上がる二人にいつものようにお菓子をもたせてくれる。
「うちでごはん食べるなら、早めにお母さんにそう言いなさいね。」
「はーい!」
「それから、帰るときはちゃんと玄関から帰りなさいよ!」
勝手知ったる家の中を二階のパーンの部屋に上がってゆくパットの背中に、階段の下からディサヤーが叫ぶ。パットとパーンの家は隣同士で、どちらも二階にある互いの部屋は、それぞれバルコニーと窓の外の屋根を伝って行き来ができる。幼い頃にこの秘密の経路に気付いたパットが、夜な夜なこっそりパーンの部屋に忍び込んで遊んでいた所、ある日うっかり朝までパーンの部屋で寝過ごした事で互いの両親にばれて、それ以来危ないからやめろと口を酸っぱくして言われてきたが、いかんせん便利なので今もたびたび屋根伝いに行き来しては怒られている。
いつきても整然と片付いたパーンの部屋に、菓子をのせた器を持って入ったパットが、後ろ手に扉を閉める。
「誰だよ。」
「あ?」
荷物をその辺りに投げ出す、ということはせず、所定の位置にきちんとかけたパーンは、パットを振り返る。
「好きな人、いんのか?」
パットはずっと、五年生の時にはじめて同じクラスのチョンプーを好きになった時からずっと、好きになった子も、付き合った子も、振られた子も、パーンには包み隠さず話してきた。しかしパーンはといえば、十六歳になる今までその手の話をパットに打ち明けた事は一度もない。
「……まだその話かよ。いい加減にしろ。」
「いないのか?」
「……。」
パーンは慎重に、そして時に狡猾に言葉を選ぶ事はするが、滅多な事でパットに嘘はつかない。沈黙は即ち肯定だ。
「誰だよ?」
「……おまえには関係ない。それ食ったら今日は帰れ。」
教えてもらえなかった事よりも、関係ないと切り捨てられた事にパットは小さく傷ついた。
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「なぁ、もしかして俺が好きだった子?」
翌日も学校が終るとパットはパーンの部屋にきた。昨日窓から帰った罰として今日のおやつは無しだった。
「あ?」
「だから言えないのか?」
「……またその話か。」
「俺が好きって言ったから、おまえ俺に——」
「遠慮するとでも思ってんのか?俺が?おまえに?違ぇよ。おまえの元カノでも、おまえが振られた……ヌン、ソン……」
パーンはこれ見よがしに片頬に意地悪なえくぼを浮かべながら指折り数える。
「五人のうちの誰でもない。」
「好きな奴がいるって事は認めるんだな?」
五本の指を開いたパーンからえくぼが消え、チッと舌打ちをする。
「同じクラス?」
「教えない。」
「言わないってことは俺の知ってる奴だろ。」
キッとパットを睨みつけたパーンは明らかに本気で苛ついている。パット自身もいつにも増した自分の執着に戸惑い、どこか持て余していた。
「一体何なんだよ。いくらおまえでもしつこいぞ。おまえには関係ないって言ってんだろ、いい加減にしろ!」
「……関係ないのかよ。」
「ないだろ!」
彼らしくもない、喉から絞り出すような余裕のない声でそう言い捨てたパーンは、苦し気に下唇を噛んだ。
「————頼むから、もうやめてくれ。」
眉間に皺を寄せた額を手で覆ったパーンは、なぜか泣き出しそうだった。いつにもなくコントロールのきかない執着で、パットがパーンを苦しめてる。その日もパットはパーンの家で夕飯は食べずに、今度こそちゃんと玄関から帰った。
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あまりにもしつこくしたからだろう、いつもならパットと一緒に組む社会科のリサーチの宿題をフィアットと組んだパーンは、彼と図書館に残って宿題をするというので、パットも必然的に組む事となったトップの家で一緒に宿題をして、夕飯も御馳走になって帰宅したのはすっかり日が暮れた頃だった。
窓をのぞくとカーテンの隙間から風呂上がりのパーンの姿が見えた。窓越しに合った視線を逸らして寝間着のシャツを着るパーンはしかし、カーテンを閉めようとはしないので、完全に拒絶されてはいないらしい。パットとパーンが本気の喧嘩をして、どこまでも突っかかっていくことしか知らないパットからパーンがしばらく距離を置きたいとき、彼はパットと向かい合う心の準備ができるまでカーテンを閉め切る。パーンの部屋のカーテンは、彼の心のカーテンだ。
バルコニーの柵を乗り越え、屋根伝いに隣の家へ移動し、パーンの部屋の窓に手をかける。案の定鍵はかかっておらず窓はすんなり開いた。ディサヤーに見つかると叱られるので、物音をたてないように忍び込み、パーンがいつも窓辺に置いてくれているパットの足拭き専用タオルで汚れを落として、ベッドに座るパーンの隣に腰掛ける。
「フィアットとの宿題、終ったか?」
「ああ、あいつはおまえみたいに余計な事をしつこく詮索しないから、楽だったよ。」
心のカーテンは閉まっていないが、その中はまだ嵐が吹き荒れている。
「————おまえの好きな奴って、フィアット?」
空気が揺れた。
「——っ違う。……そんなわけないだろ。」
それは本当に些細な言葉の機微の変化だったけれど、パットにはわかる。苛立ち鬱陶しがるだけだったこれまでとは、明らかに違う反応の温度。
「なんで?」
そんなわけないなんて、そこに言外の何かしらの明瞭な前提があるような言い方をするのは、思慮深いパーンらしくもない。
「——友達だから。」
自分で踏み込んだくせに、自分で答えたくせに、ふたりともその答えがちゃんと答えになっていない事はわかっていた。
「パット、頼むからもういい加減にしてくれ。俺は言いたくないって言ってるだろ。最初から。」
「——わかった。ごめん。」
しばらくの沈黙の末、それでも帰ろうとはしないパットに焦れたのか、パーンは何度か息を飲むと、何かを決意したように再び口を開いた。
「フィアットじゃないのは本当。でも、女の子じゃないのはあってる。」
パーンは落ち着いた声でそう言うと、大きくため息をついて肩を落とした。
「……これでわかったろ、言いたくない理由が。わかったら、お願いだからもうほっといてくれ。」
自分がしつこくしたせいで、無理に打ち明けさせてしまった……と、苦い後悔がパットを包み込む。そして同時に、ほんの少しだけその形が明瞭になった「そいつ」に対して、自分らしくもない薄暗い感情が沸き上がる。
「ごめんな。おまえが言いたくない事、無理に言わせた。」
もういいよ、と少し疲れた様子でパーンはぞんざいに頷いた。
「絶対に言いふらしたりしないから。」
「当たり前だろ。」
これ以上何も言うべきでない事を、パットだってさすがにわかっていたのに、新たに自分の中でその影を濃くした薄暗い感情をどうにか霧散させたくて、余計な言葉を続けた。
「どんな奴?」
バン、と、ベッドサイドボードをパーンが強く叩いて立ち上がった。
「俺が今言った「ほっといてくれ」ってタイ語の一体どこが理解できなかった?」
「ごめん、ごめんて、でもおまえ……おまえ笑うとかわいいからさ、そいつもきっと——」
「相手が好きなのは女の子だ。知ったような口きくな。これ以上蒸し返すなら出てけ!」
「わかった、わかったって、ごめんパーン!出てく、もう出てくから。」
パットはいい加減に痺れを切らしたパーンに追いやられて、窓枠を乗り越えた。屋根を渡る前に、追い出された部屋の、傷ついたように疲れた顔を滲ませた主を振り返る。
「パーン、無理に言わせて本当にごめんな。でも、話してくれありがとう。」
パーンの腕を掴んだパットの大きな手が、名残惜し気に数秒間そこに留まる。湿度の高い空気が、その手の体温に温められて、パーンの腕にふわりとまとわりついた。
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それから数日はさすがのパットも大人しかったが、ようやく諦めたかとパーンが胸を撫で下ろしかけた頃に、性懲りも無く蒸し返した。
「おまえ、好きな奴とは本当に望みないのか?」
「パット、アウト。」
パーンは表情の消えた顔ですっくと立ち上がると、そのままパットの二の腕を掴んで立ち上がらせ、全力で窓の方に追いやる。
「ごめん、ごめんて!違うから、俺の話だから、もうおまえの事聞かないから、頼む頼む頼む……!」
ここ数年でやたらと逞しくなった四肢をフル活用して窓枠で必死に踏ん張るパットに、ため息をついてパーンは彼を解放する。ベッドにあぐらをかいて座ると、パットもそれに向かい合った。
「気になってる子がいる。」
パットはそう言った。
「インクに振られたばかりでもう次か?」
パーンは少しの腹いせのつもりで嫌味を滲ませたが、後腐れのないパットが前の恋を長く引き摺らない事は知っている。
「本当は、インクに告白する前からその子の事が気になり始めてた。だからだと思う。告白した時、俺が本気じゃないってインクは気付いてたみたいだった。」
「知ってたけどバカだなおまえ。インクが賢くてよかったな。」
「うるせぇ!」
少しの沈黙が二人の間に漂う。パットはこれまでずっと、好きになった子の事は一番にパーンに打ち明けてきた。これまでと同じように、パットの次の恋がはじまっただけのこと。
「——誰だよ?」
しかしパットは鼻から大きく息を吸い込むと、にかっと笑ってこう言った。
「言いたくない。」
意趣返しのつもりか、どうやらまだ諦めてないらしいパットは、そのしつこさを駆使して回りくどい手に出たようだ。パーンは舌打ちをする。
「でもな……その子、好きな奴がいるんだって。」
パットはそう言うと、パーンの制服の裾からむき出しの膝をその大きな手でぐっと確かに掴んだ。
「おまえは応援してくれるか?」
望みの薄い恋にも関わらず満面の笑みである。一体彼のこの根拠のない自信がどこから湧いてくるのかパーンにはわからなかったが、これまで通り応援しないわけにもいかないので、適当に頷いてやった。
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それからというものパットは、パーンの好きな相手の話を蒸し返す事はなかったが、その代わり毎日のように自分が好きな相手の事を、聞いてもないのに話してきた。
「俺の好きな子に俺の事好きになって貰うにはどうしたらいいと思う?」
「俺に聞くな。いつもみたいに鬱陶しく絡めばいいだろ。そいつがとんだ物好きなら上手くいくし、常識人でおまえのウザさに嫌気がさしたら振られて終わりだろ。」
「おまえは物好きか?それともジョーシキ人?」
「常識人。」
「じゃあ無しだな。」
そう言ってパットは、今日もディサヤーがもたせてくれたパートンコーの、半分にちぎった片割れを、パーンの口に押しこんだ。
それに慌てたパーンは、油で汚れた指を制服のズボンで拭くパットをあと一歩の所で止めそびれて、洗濯の間に合わなかったらしいパットは翌日、油染みのついた制服でそのまま登校してきた。
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「なぁ、俺の好きな子は俺みたいな男は好きかなぁ?」
「知らねえよ、いいからはやく取って来い。」
この先に進む為に必要なアイテムの最後の一つを、パットがとってきてやると言ったから、パーンの分身は次のステージに進む分岐点で先程から彼を待っている。そのアイテムがある扉をあける為の呪文は、先程二人で倒した敵から取得したので、戦う必要もなく数分でとってこれるものなのに、パットの分身はその扉の前で佇んだまま、生身のパットが関係のない話をはじめた。
「おまえだったら俺みたいな男はどう思う?俺は優しいだろ?曲作るの手伝ってやったし。」
「俺が書いた曲だ。あんなの手伝ったうちに入らねぇだろ。」
「イケメンピック作ってやったし。」
「お前が写真変えたくて切り刻んだけど、結局入学の時に撮った同じ写真のデータで作り直されたあの学生証か。」
「……四年生の時に俺が買ったカイノッカター分けてやったし。」
「その前の日におまえは、半分ずつ食べろっておまえのおばさんがくれたカノムクロックを俺がトイレ行ってる間にほとんど食った。」
「……アイテムとってきてやってるし。」
「これ以上ちんたらする気なら俺が自分で取りに行っておまえをそこに置いて一人で進むぞ。」
「なんだよ……。俺はいい男だろ?」
画面の中で、派手な色の髪を逆立てた筋骨隆々のパットの分身が扉をあけて、その巨体を折り曲げながら最後のアイテムである花をつんだ。電子空間で来た道を折り返しながら、パットは尚も話し続ける。
「俺がおまえだったら俺に惚れるね。」
「————俺はおまえなんか嫌いだね。」
「だったらどんな奴が好きなんだよ。」
「……その話はなしだ。これ以上言ったらその先の崖から突き落とす。」
「まだ三回復活できる。」
「もう三回突き落とす。」
「おまえも道連れにしてやる!」
ようやく分岐点に戻ってきたパットの分身が、マントを靡かせた背の高いパーンの分身に体当たりをする。味方への攻撃は何もダメージを与えないが、パーンが形だけやり返すように電子の剣で斬りかかると、ダメージをうけない分身の代わりに、パット本体が胸を抑えて並んで座るベッドに仰向けに倒れた。
「……おまえの好きな子には好きな相手がいるんだろ。だったらそいつみたいな奴が好きなんだろ。」
吐き捨てるようにパーンが言うと、パットは投げ出した長い脚で、器用にパーンの脛を数回軽く蹴った。
「教えてくんねーからどんな奴かわかんねーんだもん。」
本体は仰向けのまま、画面の中のパットの分身が、先程摘んだ0と1で出来た虹色の花を取り出してパーンの分身に差し出した。蹴られた脛に、パットの踵が引っかかったまま、パーンの分身がそれを受け取った。
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先に宿題を終えたパーンは、二人で割り勘で揃えている漫画の今日発売の最新刊を読んでいる。パットだってこう見えて成績も頭もいいので真面目にやっていればとっくに終っていたのに、先に漫画を読んだせいで今ようやく手を付けた所だ。パットはだめもとで写させてくれと言ってパーンのノートに手を伸ばしてみたけれど、それをさっと取り上げたパーンは鼻歌を歌いながら、そいつを尻の下に敷いてパットが読み終えた漫画を手に取り読みはじめた。
「なぁ、そろそろ気になってきただろ。」
「何が?ネタバレすんなよ。」
「俺の好きな子が誰か。」
「……いや。」
「気になるって言えよ。」
「いや。」
「おまえの好きな奴が誰か教えてくれたら、俺も教えてやる。」
「…………いや。」
「お、怒んねーんだな?」
「怒って欲しいのか?宿題やれよ。」
デスクが空いているにも関わらず、ベッドのヘッドボードに凭れて漫画を読むパーンの傍らに、うつ伏せに寝そべったパットの前に広げられたノートは未だ真っ新だ。
「パーット?今日はうちでご飯食べてく?トムヤムクン。」
階下からディサヤーの声がする。彼女が作るトムヤムクンはパットの大好物だが、あまり辛いと食べられないので、もしパットが食べて行くなら辛さ控え目に作ってくれるのだ。
「食べる!ありがとおばちゃん!」
「自分でお母さんに連絡してね!」
「わかった!」
寝そべっていたベッドから、声を張り上げるために起き上がったパットは、パーンの前ににじり寄ると、膝が触れるか触れないかの距離で向き合って座った。そして大きく深呼吸をすると、パーンと視線を合わせ、いつにもなく不安そうに固くなった口角を少しだけあげて口を開いた。
「最初はな、そいつがはじめて恋愛っぽい話をした時だった。はっきり自分の事だとは言わなかったけど、ああ、こいつも恋愛するんだって、なんかわかんないけど、俺ちょっと焦ったんだよ。」
パーンは読んでいた漫画の頁に右手の人差し指を挟んで閉じ、そのまま傍らに下ろすと、再びパットと視線を合わせた。
「俺はそれまでインクの事意識してた筈なのに、そいつが誰かに恋してるのかもしれないって思ったら気が気じゃなくて、そんな自分に戸惑って……焦ってインクに告白したら、振られちまった。」
制服の半ズボンからむき出しの膝の、幼い頃に先に自転車に乗れるようになったパーンに対抗して、派手に転んだ時についたパットの古い傷跡を、あの頃より少しだけ濃さを増したパーンのすね毛が撫でた。
「シア、手が震えてる。……インクに告白した時はこんなに怖くなかった。だめならこれまで通り友達でいいやって思えたから。——でもそいつはさ、俺の一番の親友なんだ。それなのに、俺はどうもそいつとはもうただの友達じゃ嫌なんだ。なぁパーン、俺はどうしたらいい?」
触れそうで触れない膝の上に載せた手首の先で、指を広げて小刻みに震えるパットの大きな右手に、漫画に挟んでいた長い指を抜いて、そろそろと伸びて来たパーンの右手が戸惑いながら重なった。
「なぁパーン、おまえはこれからも、俺と友達でいたい?」
永遠のようであり、一瞬のようでもある沈黙の末に、頼りなく触れていただけのパーンの右手に、確かな力が宿り、パットの手の震えを包み込むようにしっかりと握った。
「————いやだ。」
いつの間にか近づいていた顔に、パーンの左手がそっと触れて、生まれてこのかた十六年間一番近くにいたのに、この瞬間まで一度も縮まる事のなかった最後の距離が、とうとうなくなった。
そっと触れただけの唇をゆっくりと離す。いつだって滅多な事では動じないパットの、十六年間でパーンが初めて見るような心から安堵した瞳は、今にも溢れそうな涙できらきらと輝いていた。彼の左手がパーンの頬にすっと伸びて来て、いつもえくぼが出来るあたりに零れ落ちた涙を、その親指が拭った。
そして再びその距離を——
「パーン、パット、ご飯できたわよー降りてらっしゃーい!」
…………。
「あ、飯……行く?」
「いやだ。」
そして再びその距離を詰めた。
互いの手で触れた頬を引き寄せ、まだここから先どうする事もしらない唇をより強く押し付ける。どちらかが鼻から息を吸った音につられて、どちらかの唇が僅かに開き、粘膜が触れ合う。今日のおやつの、新発売のレイズのフレーバーが互いの鼻孔をくすぐった所で、たまらなく可笑しくなって、どちらからともなく唇を離した。
「で、誰だったんだよ?」
「……おまえばかだな。知ってたけど。」
「パーン、パット、冷めるから早く食べて!」
階下から、いつものトムヤムクンの食欲をそそる香りが漂ってきた。
