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「別にさ、嫌われてるってわけじゃないんでしょ」
振り向きながら言った声に、背後に立っていた男が言葉を詰まらせる。それってつまり自分でも分かってたってことなんじゃないかなあと思いながら、マチュは大きく息を吐き出した。
比較的人通りが多い市街地の、休日の午後のことである。自分よりも背の高い男は後ろから覗き込むようにカフェのテラス席に座る男を見つめていた。熱い視線ににじれったくなって目を眇める。視線の先の髭の男、マチュがヒゲマンと呼んでいる彼は、もうしばらくは動きそうにない。話しかけるのならまたとないチャンスであるはずだった。
マチュが背後に立つ男と会ったのは買い出しに行く途中のことだった。隠れ家からそう離れてはいない市街地で、まさかもう一度会うとは思わなかった人物を発見して声を上げてしまったのがよくなかった。ニャアンと一緒にこれば良かったと唇を尖らせる。別に巻き込まれたのが嫌だというわけではないけれど、彼らの恋愛話はなんだかものすごくめんどくさかった。
よく晴れた午後だったからか、人混みの中に紛れた金色の髪はそれなりに目立っていた。マチュがよく覚えていたからかもしれないし、感じるところがあったからなのかもしれない。ぴかぴかの服に変わっていた時とは雰囲気が違っていたからあの頃よりは人目を引かなくなっていたけれど、なんだかマチュにはそれがほっとするようなことのように思えていた。
きょろきょろと誰か探すようなそぶりで歩いていた彼は、マチュが声を上げると少しだけ困ったような顔をしてこちらを見た。あの反応からすると、マチュのことには先に向こうの方が気付いていたのかもしれない。なにやら困っていたみたいだったし、ニャアンとの合流の時間まで暇だったから、マチュは遠慮なく彼へと手を振った。逃げるように背を向けた彼を追いかけたのはほとんど反射的な行動だった。自分たちの隠れ家の近くで何かあったら困るから、というのも、多分理由のひとつである。壁際に追い詰めて、手をついて迫ったのも仕方がないだろう。そのぐらいにあの瞬間の彼の挙動はおかしかった。
だからといって、こんなことになるとは思わなかった。甘いドリンクと引き換えに彼の相談に乗ることまではなんでもなかったけれど、彼の悩み事――マチュは恋愛相談だと確信している――はいつの間にか探偵ごっこのようなものになっていた。もちろん提案したのはマチュではない。これが必要でしょと揃いのサングラスを買ってもらったのは自分が言い出したからだったけれど、よく知った髭の男の後を追おうと言い出したのは一見綺麗な顔をした背後の男だった。
カフェで持て余し気味に甘いドリンクを傾けた彼は、シロウズと名乗っていた。
探偵ごっこの一環として建物の影に隠れたまま、数年前に宇宙で見た顔をじっと見上げる。大きなサングラスと前髪とで半分顔の隠れた男は、いたって真剣な表情で人混みの向こうを見つめていた。いっそ睨んでいると言って良いほどの目付きに「おお」と声が零れる。あの頃シャリアの話を聞いた時は片想いなんじゃないかと思っていたけれど、彼のこの様子を見るとそうとも言えないようだった。むしろシロウズの方がよっぽど熱の篭った目で見ているように見える。そんなにも熱い目で見ているのならとっとと話しかけに行けば良いのに、大人びた空気を纏った男は何か躊躇しているようだった。
ちら、と脚を組んで座るシャリアを見て、今日はあのマスクはしてないんだな、と目を細める。この辺りではそういった情報はあまり流れないらしく、マチュの顔もそう知られてはいない。シャリアもそれなら目立たない方が良いだろうとマスクをせずにいるのかもしれなかった。マチュからすると、あんなマスクあってもなくても彼の正体なんてあの髭ですぐに分かっちゃうんじゃないかなあとしか思えなかったけれど。
ふうと息を吐き出して、覗き込むために屈めていた身を起こす。こちらを見たシロウズに大きく頷いた。同じく身を屈めていた彼が、ゆっくりと背筋を伸ばす。とびきり良い顔をして横に振られた首に、マチュはなんでと唇を尖らせた。
「まだ早いだろう」
「もう三十分もここにいるのに?」
「まだ早い」
「早くないって」
彼がいいと言っていたから、慣れた口調で返してじっとりと見つめる。どこからどう見たって両想いなのに足を踏み出さずにいるのは、マチュからするとよく分からない距離の測り方だった。
「別に久々の再会! ってわけでもないんでしょ」
「先週も会ったな」
「ほら! なんで!」
「言っただろう。彼と会えるのは夜だけだと」
「例の密会の話? 会いたいから来てるのに?」
「それは……」
口ごもったシロウズにまったくもうと腕を組む。喧嘩別れをしたらしい彼らは、色々とあって今は時折会う関係になっているらしかった。それも夜に、シャリアの自室でである。戯曲のような話を聞いた時は良かったねヒゲマンと思ったけれど、今一歩踏み出せないでいるシロウズを見ているとまだ複雑な何かがあるようだった。
監視の目を避けている、というわけでもないのなら、会って話しちゃえば良いのにと彼を見上げる。つい先程までこちらを見ていたシロウズは既にシャリアの方へと視線を向けていた。それはもう、熱い目である。彼の中でも最初から答えは出ているようだった。
「シロウズさん、ヒゲマンがなんて言うか大体想像はついてるんでしょ」
「外れたらどうする?」
「分かんないけど、それも聞かないと分からないじゃん」
それもそうだな、という顔をしたシロウズが、慌てたように『どんな顔をして会いに行けば良いのかわかりません』の表情を作り直す。そうでもしなければ躊躇している理由を作り出せずにいるようだった。まったくもう、この人たちって、と片眉を上げる。マチュとしては、シロウズはもちろんあの優しい目をしたひとにも笑っていてほしかった。
ぴくりと肩を揺らしたシロウズに気が付いて視線を追う。時間が来てしまったのか、シャリアが席を立とうとしていた。
「ほら!」
ばちんと背中を叩いて、ずれたサングラス越しに青い目を見つめる。一瞬ぽかんとこちらを見た彼はおかしそうに笑って足を踏み出した。「君も」と促されて、ウンと頷いて駆ける。シロウズがすっきりしない顔のまま踏み出さないでいるのなら背中は押したい。けれどシャリアが五年も待っていたことも知っているから、もしも友達を傷付けたら許さないからという気持ちがあることも確かだった。
駆けてみると、離れて見えたカフェは案外近かった。
テラス席に座っていたシャリアが顔を上げる。黒縁の眼鏡を掛けた彼は、まるで初めから知っていたような顔をして目を細めた。
「今日も来ないのかと思いました」
「……こんなところでひとりだなんて、格好の標的なのでは?」
「わかっているでしょう。ご心配なく。三十分も連れ回してはいけませんよ」
窘めるようなシャリアの声に、なんだ思ってたよりも仲良しじゃんと二人を順に見る。どうしてかおかしそうに笑ったシャリアは、「どうぞ」と空いた席を指さした。二人用のテラス席に椅子がひとつ追加されている。自分たちが見ていたことは初めから知っていたようだった。
「なにか頼みますか?」
「やった! あ、ニャアンも呼んでいい?」
「どうぞ。あなたは?」
「……貰おう」
同じような笑い方をしたシロウズが小さく頷く。迷いなくここに来ました、という顔をしているけれど、彼の頬には僅かに色が差していた。
マチュがニャアンの分の椅子を運ぶよりも先に、シロウズがスマートにひとつ寄せる。ありがとと顔を上げると彼は既にシャリアに近い方の席に座っていた。光の速さだった。
なんだなにも心配することなかったじゃん、と隣に座って、迷いなく一番高いパフェを選ぶ。ニャアンからの返信によると、近くにいたらしい彼女がやってくるまであと十分。それまでは「サングラス、お似合いですね」「彼女に選んでもらってね」と話す彼らの惚気をたっぷり聞くことになりそうだった。
