Work Text:
Waltz
俺がソシアルを始めたのは日本に来てからで、ダンスで外貨が稼げるなら正直何でもよかった。
これが俺の商売である以上、点数稼ぎの規定は覚えても、型にはまるのは元より性に合わない。人の指図を受けて言いなりに動く術など知らないし、知りたくもなかった。
それなのに——。
「もう一回リードやってくれない?」
俺は下男のワルツから抜け出せずにいる。
「……いいですよ。」
獲物を前にした捕食者のような目をした男が、嬉しそうにその優雅な左手を差し出した。
その手を取った瞬間に、圧倒的で上質な征服欲に包まれる。俺が思わず息を呑んだ事が、指先の僅かな緊張を通して伝わる、その屈辱と——。
「One, two, three」
ぐわん、とあまりにも容易く回され、気づけば身体が相手の意のままに動いている。この感覚を快楽と自覚した時にはもう、俺の身体はこいつに掌握されている。
息を吸うタイミングまで、ここ以外にはないという所に落とし込まれて、苦しいのに立っていられるぎりぎりの所で、文字通り踊らされる。拘束された右手から流れ込んでくる、重みのある愉悦。——とんだサディストめ。
「ダブルリバーススピン」
次の動きを全てお膳立てされ、俺はそれになす術もなくついていく。指先の角度一つに至るまで、がんじがらめに拘束されているのに、次にやってくる予感がはっきりとわかる、開放感。今自分が、恥ずかしい程に美しく舞っている事を自覚する。ホールドされた手は命綱。絶対に落ちないとわかっているから、曝け出せる。
「コントラチェック」
曝け出してしまった所を、全て握られている羞恥心。支配者は今、どんな顔をしているのだろう。
ワルツの起源は求愛、愛を乞うその手で、身体の隅々まで支配される。
——ああ、降参だ、あんたが欲しい。
すっかり屈服してそう願えば、よくできましたと言わんばかりに引き寄せられる。
しかし澄ました首筋に滲む汗の匂いを感じるほどに近づいても、俺もあんたもそっぽを向いていて視線は合わない、それがもどかしい。
「——こんなところでいいでしょう。」
繋いだ手を離される瞬間の、言いようのない心細さ、酷い男と知っていて縋ってしまった敗北感。屈辱に内包された羨望に、腹の底が熱くなる——。
さあ、どうしますか?と俺の出方を待っている杉木に、俺は背筋を正して左手を差し伸べる。
好戦的な笑みを浮かべてその手を取った、支配者の血統を受け継ぐ気位の高い姫は、端からこちらの賤しさを見下して、俺とは違ってそう簡単に落ちそうにない。
「フレーム意識」
でも、高貴なばかりが求愛でもないだろう。俺は貴族のふりをする道化になどなれやしないが、本気で恋い慕えば下男にだって愛の言葉は紡げる筈だ。
「ゆっくり、丁寧に」
どうしたってあんたには、俺の手の内は丸見えなら、俺は跪いて傅いて、形振り構わず全力であんたに縋りつく——。
「……悪くなかったですよ。今のワルツは、従者並でした。」
減らず口を叩く高飛車な姫の頬が、上気していた。
Rumba
You know? と事あるごとに繰り返して会話の間を持たせようとするのは、大概が何を言えばよいか分かっていない事を自分自身で誤魔化して、物事がわかった気になっているだけのぼんくらだ。
そうやって人を見下して蔑むのが僕という人間の本質で、あえて礼節を重んじる事で、その本来恥ずべき嗜虐がある種の効果的な求心力として働く事を弁えている。
それなのに——。
「これ、この腕の動きがお上品すぎんの。ここは場末の酒場だ。お高くとまった坊ちゃんなんか鼻にもかけらんないわけ。わかる?」
あなたの挑発するような「わかる?」に滲むのは、僕の蔑みの湿度さえも焼き尽くすような熱い優越感。条件反射のように高みの見物を決め込もうとする僕の悪癖をものともせずに、あんたもこっちに来いよと全身で挑発する引力には迷いがなく、力強く、苛立たしく——。
「Two, three and four」
狂おしい。
「Dos, tres, cuatro」
触れたと思えば離れていく、ラテンのルーティン。離す直前の体温に縋るようにステップを踏めば、そこに滲んだ僅かな不安は、炎に照らされて瞬く間に炙り出されてしまう。
日に焼けた長い首筋に踊るゴールドのチェーンに、言葉よりも巧みに操られた角度で相手を誘う顎から、ゆっくりと滴り落ちてきた汗が絡みとられ、屈折された光に視界が揺らぐ。
「アイコンタクト。目ぇ逸らすな。貴公子の求愛じゃないんだよ。欲望は丸出しにしないと事は始まんないの。」
乱暴に顎を掴まれるままに合わせた視線は、あまりに真っ直ぐで即物的だと笑われた。
「もっとヤニ下がれ。気取るな。」
常に僕を捉えて離さない視線が、アイソレーションの腰の動きのように、自由自在にうねり、絡みつく。
「なぁ、本気でヤりたいと思ってる?」
フォローがリードの頭を抱き込むようなコレオグラフィー、瞼の輪郭もぼやけるほどの至近距離で囁かれるその声の、頭蓋の裏側を震わせるような周波数。——腹の奥が沸き立つ。
「……あなた相手にですか?」
絡みついて離れなかった視線が、弾かれるように途切れた。
「茶化すなよ。」
不意に開いたワンステップ分の距離。彼の身体の中で絶えず鳴り響いている音楽のリズムが、鼓動が、揺らいでいる。
二人分の呼吸の音だけが、張り詰めたスタジオの空気を震わせる——茶化したのは果たして僕か、あなたか。
途切れた視線の先でまだ、細く繋がっていた本能的な意識が、言葉よりも先に僕を辿って、こちらの意識を覗き込んでくる。反発する度に、まるでゴムの反動のように、より強くしなやかに、より近くに寄せてくるこの作用に、僕は執着と名を付けて、静かに歓喜に震えていた。
「……あんたさ、まとわりつくような目で見てる事あるじゃん。」
誰を、と言う代わりに伸びてきた左手が、僕の右頬を撫でて、甘く誘うように視線を固定した。そう、確かに見ていた。あの日からずっと、目を奪われている。僕は一体、どんな目をしてあなたを見ていたというのか。
「そう、その目だよ、その顔でやってみな。」
赤い舌が、ちらりと覗いて誘うように唇を濡らす。
——ああ、そこに触れて、めちゃくちゃにしてやりたい。
そう欲した瞬間、身体はバネのように熱源に引き寄せられ、熱く湿った吐息が僕の渇いた唇を撫でた。
