Work Text:
ネガティブな行動力を伴うステ
何をやってもうまくいかない。
当てもなくカリブ海を進む帆船リベンジ号の上で、私は一人嘆息を漏らした。
だって戦闘はいつまで経っても慣れないし、船員からの尊敬も黒ひげと比べれば集められていない。この前イギリス船を襲った時なんか、つまづいて略奪した宝石や硬貨を海底へボトボトと落っことし、イジーから「このクソボネット!!」とかなり本気でキレられてしまった。仮にも海賊船の船長なのに!嫌な経験を思い出した心が重石をつけられ、ズゥンとまた深度を下げる。
特に剣術の練習は、何百回繰り返したか分からない。手すりを掴む掌を見下ろすと、あちこちに痛々しい剣だこができている。皮膚が赤く硬化し、ぼこぼこと隆起している様子は正直異様だ。いつだったかイジーがこれを見た時「そんな箇所にたこができるのは未熟な証だな」と皮肉っぽく吐き捨てたのを思い出す。
剣を落としたり一本取られたりするたび、いつも相手してくれるエドに「ごめん」と謝るのも、今ではほとんど口癖となってしまった。エドは下手な慰めもせず「また右半身に重心が寄ってたぞ」とストレートに指摘してくれるので、むしろ気が楽なのだけれど。
「はぁ〜…」
またため息をつく。今度のは体の奥底から湧き出る瘴気のようだった。言いようのない焦燥が募って、胃の中のコンクリートを絶えず攪拌しているのだ。
何をやっても黒ひげの二番手。共同船長と名乗ってはいるが、海賊としての実力差は私自身が痛いほどに感じている。きっと他の船員も同様に違いない。ジリジリと容赦なく照りつける日差しが、私の輪郭に沿って濃い影を作る。もっと頑張らなくちゃ、もっと努力しなくちゃ。そうがむしゃらに行動すればする程空回りになる。円形の小道をグルグルと走り続けている気分だ。
「一体どうすればあぁなれるのかな…」
手すりに肘を付いて、向こうで船員たちにキビキビと指示を出す黒ひげを眺める。その佇まいは、『理想の海賊』として一切無駄のないフォルムだ。実力、威厳、カリスマ。どれも私は遠く及ばない。
「イヴァン、足が止まってるぞ!」
そう言ってビシッと部下を指差した時、彼の腕が大海の陽光を一身に浴びて煌めいた。その一面に彫られた海賊の、いや黒ひげの強さの象徴。
これしかない!
「というわけで、私にもタトゥーを入れて欲しいんだ」
経緯を説明し終わると、「そうか」とエドはほぅっと吐いた煙草の先端をぐりぐりと灰皿に押しつけた。船長室に煙ったい息がもやもやと立ち込める。ただタトゥーを彫りたい事情を話していただけなのに、気づけば随分その煙草は短くなっていた。
「つまり、タトゥーを入れて私みたいになりたいんだな」
「そうなんだ!」
エドの魅惑的な声は一言でこれまでの話を総括した。彼が「そのままでも十分魅力的だと思うが…」と口ひげの中でもごもご呟いたのは、スティードの耳には届いていない。
「見た目から入るなんてカッコ悪いかもしれないけど、少なくとも貫禄あるようには見えそうだろう?」
我ながら良いアイデアに、表情も弾むように綻ぶ。ここ最近はずっと寝不足だったが、昨夜この名案がひらめいて久々に熟睡できたのだ。エドはしばらく思案している様子だったが、やがてよしと頷いた。
「それで何を彫るんだ?」
私はパチパチと何度か瞬きして、そのまま姿勢良くソファーの上で固まった。
「…まさか、考えてなかったのか?」
完全に失念していた。何だろう、蜘蛛とか蝶とか?駄目だ、在り来たりなものしか思いつかない。
「…君のおまかせでいいよ!」
結局何も浮かばず、咄嗟に愛想笑いで返した。こういう状況で受けの良い笑顔を作る術は長年の貴族生活で完璧に会得している。煙草をテーブルの向こうに押しやったエドはふむ、と髭をさすった。
「じゃあどこに彫る?」
「え、痛くないところ?」
自分で言っておきながら、タトゥーを入れて痛くない箇所ってどこなんだと首を傾げる。そもそもどれくらい痛むのだろうか。腹を刺された時ほどは苦しくないといいけれど…。
「タトゥーは彫る位置によっても意味合いが変わってくるんだ。肩は強さ、胸元は愛情とかな。もちろん彫るもの自体の意味も大きい」
そうだったのか、とエドの彩り豊かな腕を眺める。改めて見ると、隅々までそのセンスを体現した実に彼らしいアートで埋め尽くされている。上腕辺りに彫られた歪なドクロと目が合った気がした。
「で?初心者なら肩か?でもお前は肩見せないから、首とかいいかもな。指先なんか痛いけど目に付きやすい」
どうやらタトゥーひとつ取っても、考えることはかなり豊富らしい。何か咄嗟に結論を出そうとグルグルと思考を回す。「自分の理想のタトゥーとは」ではなく、「この場を凌げる気の利いた返答とは」について。
「ど、どうしよう…全部おまかせでいいよ!」
やけに張り上げた声は語尾で少し裏返ってしまった。なりふり構わない私に暫しこちらを見つめたエドは、やがて怪訝そうに眉を顰めた。
「…なぁ、スティード、大丈夫か?」
「え?うん、大丈夫だよ」
こういう時、エドの視線は鋭い。皮一枚剥ぎ取った内側まで見透かしてきそうな瞳に、思わず足がすくみかける。
「言い方を変えよう。お前本当にタトゥー彫りたいのか?」
エドはどっしりとカウチに座り直すと、『本当に』を強調するようにもう一度尋ねた。何故だろう。体の変なところからタラタラと汗が滲み出てくる。
「そ、そりゃ痛いのも怖いし、一生残るのも怖いよ?でも、一人前の海賊にならなきゃ…」
一人前の海賊。それは脳内でずっと復唱し続けてきた言葉であり、すっかり誦じた呪文にも似ている。エドと目を合わせるのがどこか恐怖で、壁にかかった風景画の方を見ながら答えた。
「何を焦ってるんだ?お前はもう立派な一人前の海賊だろ?」
「いや、違う!」
エドの慰めるような言葉も勢い遮ってしまった。でもこういう時かける言葉は大抵お世辞か常套句だという経験則は、大体間違っていない。
「私は何もかもだめだ。情けない海賊なんだ」
何度も手からこぼれ落ちていった剣や、宝石や、硬貨や、船員たちの顔が次々フラッシュバックした。自分で言っていて声が震えてくるけど、それが事実なんだから。
「…なぁスティード。お前、出会った頃に比べたら随分たくましくなったぞ」
ふとエドの凄みのある声が、幾分か柔らかくなった。彼はこちらに手を伸ばすと、スルスルと私の袖元を捲った。レースいっぱいの長袖の下から現れたのは、妙な形についた日焼け跡に、あちこちの切り傷。それと、気づかぬうちに増えた打撲痕。
「そうかな、不恰好でしょ」
「いや?私も似たようなものだ」
なんだか恥ずかしいものを見られた気がして、下手に笑って袖を引っ張ろうとする。だがエドは私の古傷をなぞっていた手のひらをパーにすると、こちらへ広げてみせた。日焼けしたそれは手相を十字に切るように刻まれた切り傷や、ゴツゴツとした豆やタコで硬くなっている。まるで私の手みたいだ。
「まぁ、私がお気に入りなのはこっちだけどな!」
そう言うと、エドは私のコートの裾を引っ掴む。捲ると下から白地のベストが現れた。その下はトップス、その下は肌着…。若干もたつきつつ、ようやく私の素肌に辿り着く。エドは日に晒されていないその腹部を満足げにペシペシと叩いた。
「痛っ!」
「うん、なかなか立派なタトゥーだ」
思わず唸った私を見て、エドは悪戯が成功した少年のように破顔する。そこにはスペイン船で刺された傷と、イジーに刺された傷が双子星のように並んでいた。
「これも、一人前の海賊の証かな?」
貴族だった頃の私が見たら卒倒しそうなその痕も、気づけばすっかり体の一部として馴染んでいる。私が恐る恐る尋ねると、エドはアーモンドみたいな目をキュッと得意げに細めた。
「あったりまえだろ?私もこれは気に入ってるんだ」
彼はニッと笑うと、自分のトップスもペロンと捲ってみせた。そのお腹には何度も刺されて爛れた痛々しい傷跡が残っている。そっと触れてみると、引っかかるような感触はいつしかの晩と何ら変わっていない。
「ふふ、お揃いだね」
ずっと忙しなかった心拍数が、ようやくスローに落ち着き始めた気がした。ほつれていた心の糸がエドの手で揉まれてほぐれたみたいだ。
「ところでこの傷、クラゲの産卵シーンみたいだと思わねぇか?」
「えぇ?それにしてはケバケバしいけど…僕のこそ、ウィトルウィウス的人体図みたいだろ?」
「うぃる…何だそれ?」
二人は飽きることなく、互いにしか聞こえないヒソヒソ声ではしゃぎ合う。その頃には、スティードを悩ませていた些事はすっかり部屋の隅に掃いて捨てられてしまっていた。彼らの手つきが甘いものに変わるまで、そう時間はかからないだろう。
